人気ブログランキング | 話題のタグを見る

アサリの子

この春は、家族で夕食を食べながらNetflixで「Midnight Diner」」を観ていた。マンガ原作の日本のドラマ「深夜食堂」である。英語字幕付きで配信されているので、アメリカ人の夫、その娘と一緒に楽しめるのだ。ある日「あさりの酒蒸し」の回を観たふたりが、いつも以上に「食べてみたい」と言う。基本的にどの回を観てもそのメニューを食べたいと言うのだけど、私も久しぶりに食べたくなったし、地下鉄に乗って、イータリーへアサリを買いに出かけることにした。

しかし、イータリーにはアサリがなかった。あらかじめアサリは「Japanese littleneck」であると辞書で調べて、「ジャパニーズリトルネックください」と言えるよう準備してから行ったのに、売り場を見てもないのだ。仕方がないので、アサリに似ている貝を買うことにした。似ていると言っても、売り場の貝類の中で一番似ているだけであって、サイズも一回り大きいし、貝殻の一部は緑色で甚だ不安。とりあえず帰宅しておっかなびっくり砂抜きしつつ、ますます不安になる。そもそも貝を調理するのは生まれて初めてなのだ。せめて馴染みのあるアサリで初挑戦したかったところだが、謎の貝を調理して、日本代表としてアメリカ人に振る舞わなくてはならなくなってしまった。不安がつのる。

結局のところ、酒蒸しはかなり塩辛く仕上がった。どうやら砂抜きの後に塩抜きもしなくてはならなかったようなのである。しかし、塩辛いことを除けば(除きにくいが)、ちゃんと「あさりの酒蒸し」の味がする。いける、と勢いづいて次はアサリのスパゲティを作ってみたくなった。それで今度は近所の中華街に出かけることにしたのである。

しかし、中華街の魚屋さんにもアサリがなかった。中華街には徒歩でいけるし、高級イタリア食材店のイータリーより安かろうと勇んで出かけたのに、なんだか拍子抜けである。またしてもあの謎の貝はあったので、それを買うことにしたのだが、「それください」と言ったところで、「どのくらい?」返されてうろたえてしまった。アメリカでは重さの単位がグラムではなくポンドである。在米十三年になるというのに未だにポンドがピンとこないのは情けないことだ、と落ち込んだり、いや、グラムだったところで何グラム買ったらいいかそもそもわからないではないか、落ち込む必要はない、と開き直ったりしていたら、横から夫が「三十個ください」と注文してくれた。家族三人なので一人十個である。砂抜きは?とこれは私から店員さんに質問してみたところ、特にしなくて良いとのこと。しかし私は帰宅して、前回より薄めの塩水に三十個の貝を浸けた。私は疑り深いのだ。

その晩、張り切って調理を開始。オリーブオイルでにんにく、唐辛子、みじん切りにした玉ねぎを炒めたところに、今回は塩抜きもした貝を入れ、酒も加えて蓋をした。その隣では既に大きな鍋でスパゲティを茹でている。それでもうすることがなくなってしまったので、蓋のガラス部分から貝の様子を見つめていた。前回酒蒸しを作った時、なかなか開かないな、と不安になって来たところで、パッと一つ開いて、続いてパッパッパッと次々に開いていく様子がおもしろかったのである。すぐにスパゲティを作りたくなったのは、この開くところを見たかったからかもしれない。今回は三十個買ったから、それが三十回みられるのか、いいぞ、なんて待ち構えていると、一つ目の貝がパッと開いて、おやと思った。中に小さな子供がいるのである。

蒸気で曇ったガラス越しで少しぼやけているが、たしかに子供である。熱に耐えきれず慌てて殻を開けたというふうではなく、開いた貝殻の片方でまるまってスヤスヤと眠っている。それにしても出汁が出てしまうのではと思ったが、となりの大鍋のスパゲティがそろそろアルデンテ、というのが気になったので、茹で具合を確かめ、ちょうど良かったので湯を捨てた。スパゲティの水気を切って具と絡めようと蓋をあけた時には、子供はもう見当たらなかった。

アサリのスパゲティ(アサリじゃないけど)は大成功だった。貝の塩加減も良い。今回はうまく塩抜きできて良かったなと思ったけれど、砂抜きをしていたトレーには貝が砂を吐いた形跡がなかったので、やはり店員さんの言うようにそもそも砂抜きの必要がなかったのかもしれない。家族も喜んで、みんなでどんどん食べていると私の皿に一つ、身が入っていない貝があった。これがあの子が眠っていた貝だろうか。

その夜、臍から菜の花に似た花が咲く夢をみた。花の上であのアサリの子(アサリじゃないけど)が眠っていた。朝起きて、アサリのスパゲティに菜の花を入れるのもおいしそうだなと思った。

20210804

アサリの子_b0221185_22441350.jpg


# by mag-akino | 2023-07-15 22:46

六割日記 その二 2017年3月5日「草原のマンティス」

 先日、アメリカ人の夫と話していたらふと「カマキリ」の話題になった。なぜカマキリの話題になったのかは覚えていない。カマキリという名前の意味を英語で説明しようとして、「鎌」の英訳でつまずいて辞書を引いたりしているうちに忘れてしまったようだ。ちなみに、鎌は英語で「sickle」、カマキリは「mantis」なのだが、「マンティス」より「カマキリ」の方がカマキリっぽい感じがするのは日本人だけだろうか。

 私の実家はマンションの七階にある。まだ日本に住んでいた頃、その実家の玄関の前の廊下のところでカマキリとセミが闘っているのを見た。夏のある日、自室で制作していると、外で異様にセミが騒ぐのでドアを開けてみたら、セミがカマキリに半分食べられていたのである。カマキリついでに、夫にこの話もしたのだが本当に伝わったのか怪しい反応をしていた。私の英語が変だったのかもしれない。

 ついでに思い出したので「カマキリは賢いと思う」という話もしてみた。子どもの頃の話である。近所の空き地で子カマキリを捕まえた私は、とりあえず家に連れ帰り、母に見せたり、眺めたりした。しばらく楽しんで、そろそろ元いたところに返さないと、と思ったのだが面倒臭かったので、玄関を開けて、廊下にカマキリを離して、「では」と戸を閉めたのである。それからしばらくしたある日のことである。小学校から帰ってきたら、玄関の前にカマキリがいた。先日捕まえたカマキリと同じ色で、少し大きかった。私は「あのカマキリが大きくなって戻ってきた」と思った。そして、これと全く同じことがその後二回も起こったのである。三匹のカマキリが私のところに帰ってきたことになる。

 「という訳でカマキリは賢いと思う、鮭と同じように帰ってくるのだ」と夫に話したのだが、夫はますます怪しい反応をしていた。今度は英語も変な上に、話自体も変だったので、ますます伝わらなかったのだろう。

 アメリカのマンティスも帰ってくるのだろうかと考えながら、本を読んでいるうちに眠ってしまって、夢を見た。私は子どもに戻っていて、アメリカのどこか草原にいた。足元にマンティスがいたので「私を覚えているか」と訊いてみたら、英語で返答されて聴き取れなかった。草原には風が吹いていて、マンティスの声は小さかったのである。私はいつまでたってもヒアリングが苦手で、周りがうるさかったり、早口だったり、ちょっとしたことで聴き取れなくなってしまう。もっと耳を鍛えないと、と思いながら目が覚めた。


六割日記 その二 2017年3月5日「草原のマンティス」_b0221185_11303365.jpg


# by mag-akino | 2017-03-06 10:23

六割日記 その一 2016年11月25日「半蔵門線の蜘蛛」

 先日、マンガの単行本が発売されて、そのイベント開催のため帰国した。成田空港に到着したのは、11月13日の午後である。私は迎えに来てくれた母と一緒に、京成電鉄に乗り実家に向かった。私の実家は空港から京成一本で帰ることができて便利である。

 車内で母と話しながらふと見上げると、向かいの席の上の網棚から蜘蛛がぶら下がっていた。電車に蜘蛛とは珍しいと思い、母に「蜘蛛が」と教えたら、そう驚かないので、「最近は電車に蜘蛛がいるの?」と訊いてみたが、そんなことはないと言う。

 その翌々日、私はスカイツリーに向かっていた。スカイツリーが完成したのは2012年である。私はその時もう渡米していた。それからずっとのぼる機会を逃して、今回ついにという訳であるが、私は最寄り駅がどこかも知らなかった。押上らしい。押上ってどうやって行くのだろうと調べたら、総武線で錦糸町に出て、半蔵門線に乗る、という経路が良さそうだった。

 その総武線の中でまた蜘蛛を見た。ずっと日本に住んでいる母は気づいていないようだが、どうやら最近は電車に蜘蛛がいるようである。錦糸町で総武線を降り、半蔵門線に乗り換えたらそこにも蜘蛛がいた。やはり、と思った。

 私は日本のラジオも聴くし、インターネットで日本に関する情報も頻繁に目にしているので、アメリカに8年住んでいる海外在住者のわりに日本の世相や流行の変化についていっているつもりであった。しかし、蜘蛛のことは全く知らなかった。こういう些細な変化は住んでいる人こそ気がつかないもので、だからアメリカにまで伝わってこなかったのかもしれない。日本もいろいろ変化しているのだ、大変だな、と考えていたら
「アメリカだって大統領選で大変でしょう」と蜘蛛が言った。
「それはそうですけど」と応えつつ、最近の蜘蛛は見聞が広いなと思っていたら
「地下鉄の蜘蛛は地上の電車の蜘蛛より頭が良いのです」と言う。
太陽の光にあたると蜘蛛はバカになりがちなのだそうだ。どうやら総武線や京成の蜘蛛と一緒にするな、と言いたいらしかった。

 ……賢いのは良いのだが、地下鉄にいる蜘蛛はメスが8割なので、将来的に子供が産めるか大変不安、それに、子育てには地上が良いが、地上に出たとたん全てを忘れてしまいそうでそれも不安、と蜘蛛(メス)は話した。

 私は「それって本当の話かな」とぼんやり聞きつつ、そういえば蜘蛛は昆虫じゃないんだよな、足が8本あるし、と考えているうちにもう押上に着いた。錦糸町押上間は一駅なのである。
 
スカイツリーから霧に包まれた富士山が見えた。富士山は思い描いていたより遥かに美しく、何か良いことがありそうな気分になった。富士山にも蜘蛛はいるのだろうか、と考えて、いたとしてもバカになりがちなんだよな、と思った。
# by mag-akino | 2016-11-26 23:43

グミの思い出

先日、日本の編集さんから届いた荷物を開けたら、グミが入っていた。お菓子のグミである。荷物のメインは私のマンガが載った雑誌で、グミはおまけとして本と箱の隙間に六袋詰まっていた。グミというのは梱包材にもなるのだなと思った。

電話で打ち合わせをした際にお礼を言ったところ、「近藤さんが帰国した際に、カバンにグミが入っているのをチラリと見かけたので」とのことだった。たしかに私は先日帰国した際に、疲れてどうしようもない時に食べようとグミを持ち歩いていたのである。それで、「近藤はグミが大好き」だと思われたのであるが、実は大好きな訳ではなくて、単純に手が汚れずに素早く食べられるから「グミ」だったのである。

しかし、私はグミには思い入れがある。
小学校低学年の頃である。学校から帰り道、自宅マンション前で、車の中から知らないおじさんに声をかけられた。「○○さんの家を知ってる?」と訊かれたのである。当時は誘拐事件などもあったし、「知らないおじさんと話してはいけません」、「車の中から話しかけられても近寄ってはいけません」と親や先生からよく言われてもいたので、すぐに「これか!」と思った。しかし、私がつい足を止めてしまったのは、「○○さん」というのは私の友達の家のことで、その子も目の前の私と同じマンションに住んでいたためである。ちょっと迷った末、私はおじさんを○○さんの家に案内することにした。おじさんは本当に○○さんの知人であった。

その数日後である。私宛に知らない人から小包が届いた。開けてみると、手紙が入っていて、送り主は先日のおじさんだった。○○さんに私の住所を聞いて、お礼を送ってくれたのだ。おじさんは製菓会社に勤めているそうで、お礼は新商品のお菓子だった。それがグミだったのである。

私が「グミ」というものを知ったのはこの時が初めてであった。知らないおじさんから送られてきた知らないお菓子を食べて、「これがグミか…….」と思ったので忘れられない。考えてみると、初めて食べた時のことを覚えているお菓子というのは他にない。そういう意味で思い入れのあるお菓子なのである。「キャラメルより柔らかく、ガムと違って飲み込んでよい」という程度の印象であったが、その後、「グミ」はどんどん知名度があがって、人気も出て、おじさんから送られてきたものと同じ商品もスーパーで見かけるようになった。私は「あの『グミ』がなぁ……」とか思ったりもした。

だからなんだということもないただのグミの思い出である。そんな思い入れ込みで食べると味わい深いお菓子である。(編集さん、ありがとうございます。)でもやっぱり、知らないおじさんの質問には答えない方がいいと思う。グミが送られてきたのは、ラッキーなケースである。



グミの思い出_b0221185_0425178.jpg

# by mag-akino | 2015-07-07 00:45

飛んでいったネジが戻ってきた話

先日書いた通り、サングラスのツルの部分のネジがどこかに飛んでいった。

そのネジが10月21日に出てきた。飛んでいったのが9月25日頃だったので、ほぼ一ヶ月行方不明だったことになる。家の中にあるのはわかっていたので、なくしたと認められずにいたのだが、やはり室内にあった。台所のタイルの目地のところにはまっていたのが、小さいほうきで掃き掃除をしたら飛び出てきたのである。(我が家には掃除機がないので、普段はクイックルワイパーで掃除しているのだが、クイックルワイパーでは目地のゴミはとれていないこともわかった。)

それで早速、サングラスを修理したかというとそうではない。実は、その一ヶ月の間に「メガネ修理キット」を持っている友人が既にサングラスを直してくれていたのである。「メガネ修理キット」というのは、微妙に違うがどれも極小のネジとネジ回しが大量に詰まっている箱で、友人はそれをネットで買ったそうだ。そこから合いそうなネジを選んではめてみたら、サングラスは直った。あれだけいろいろな種類のネジがあったのに、元のネジと全く同じ物はなかったので「世の中には本当にいろいろな種類のネジがあるのだ」ということもわかった。そして後日、お礼に夕食を振る舞おうと、いつもより激しく料理したら台所の床が汚れたので、ほうきで掃除したらネジが飛び出てきたのである。

そんな訳でネジは出てきたのだが、はめるところがなくなってしまった。仕方ないので、机の上にいつも置いてある、「よく使う文具を適当に入れてあるトレー」にとりあえず入れておくことにした。それから今日、11月30日まで一度もそのネジを見なかった。そのトレーの中にあるのはわかっているのだが、極小なので見ようとしないと見えないのである。

それが、先ほど水張りをしようとした時である。紙の裏面に刷毛で水を塗り、紙が伸びる間に水張りテープを切って、さて張ろうとして、刷毛を手に取ったら、ガラスの器の水の中に小さなネジが入っていたのである。いつ入ったのかわからないが、紙に水を塗った時は気づかなかった。そのガラスの器は、普段ヨーグルトを食べる時などに使っているものなので、元から器に入っていたとは思えなかった。では、刷毛に付いていたことになるが、刷毛は机の下の道具入れに入れてあり、上に目隠しの布もかけてあるのである。変だなぁと思いつつ、とりあえず水張りをした。水が乾くとうまく張れないのだ。

二枚水張りをしてから、トレーの底を探ってみたら、そこにもネジがあった。こちらが飛んでいって戻ってきたネジである。水の中から出てきた方を改めてよく見たら、ネジではなく釘であった。この釘がなんの釘なのかは全然わからないのだが、とりあえず又、トレーに入れておいた。私の家には今、極小のネジと釘が一つずつ余っている。



飛んでいったネジが戻ってきた話_b0221185_11145514.jpg

# by mag-akino | 2014-12-01 11:17


アーティスト近藤聡乃ニューヨーク滞在制作記


by mag-akino

近藤聡乃 / KONDOH Akino

2012年5月までの文章が本になりました。

不思議というには地味な話』(ナナロク社)

57編、すべてに描き下ろし挿画つき。26ぺージの描き下ろし漫画「もともこもみもふたも」も収録。



2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、2002年アニメーション「電車かもしれない」で知久寿焼(音楽グループ、元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品で NHKデジタルスタジアム、アニメーション部門年間グランプリを獲得。シャープペンを使って繊細なタッチで描くドローイングに加え、最近 では油彩にも着手している。2008年、2冊目のマンガ単行本「いつものはなし」(青林 工藝舎)を出版。

以前の記事

2023年 07月
2017年 03月
2016年 11月
2015年 07月
2014年 12月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 03月
2014年 02月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月

フォロー中のブログ

検索

カテゴリ

全体
未分類

タグ

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧