グミの思い出

先日、日本の編集さんから届いた荷物を開けたら、グミが入っていた。お菓子のグミである。荷物のメインは私のマンガが載った雑誌で、グミはおまけとして本と箱の隙間に六袋詰まっていた。グミというのは梱包材にもなるのだなと思った。

電話で打ち合わせをした際にお礼を言ったところ、「近藤さんが帰国した際に、カバンにグミが入っているのをチラリと見かけたので」とのことだった。たしかに私は先日帰国した際に、疲れてどうしようもない時に食べようとグミを持ち歩いていたのである。それで、「近藤はグミが大好き」だと思われたのであるが、実は大好きな訳ではなくて、単純に手が汚れずに素早く食べられるから「グミ」だったのである。

しかし、私はグミには思い入れがある。
小学校低学年の頃である。学校から帰り道、自宅マンション前で、車の中から知らないおじさんに声をかけられた。「○○さんの家を知ってる?」と訊かれたのである。当時は誘拐事件などもあったし、「知らないおじさんと話してはいけません」、「車の中から話しかけられても近寄ってはいけません」と親や先生からよく言われてもいたので、すぐに「これか!」と思った。しかし、私がつい足を止めてしまったのは、「○○さん」というのは私の友達の家のことで、その子も目の前の私と同じマンションに住んでいたためである。ちょっと迷った末、私はおじさんを○○さんの家に案内することにした。おじさんは本当に○○さんの知人であった。

その数日後である。私宛に知らない人から小包が届いた。開けてみると、手紙が入っていて、送り主は先日のおじさんだった。○○さんに私の住所を聞いて、お礼を送ってくれたのだ。おじさんは製菓会社に勤めているそうで、お礼は新商品のお菓子だった。それがグミだったのである。

私が「グミ」というものを知ったのはこの時が初めてであった。知らないおじさんから送られてきた知らないお菓子を食べて、「これがグミか…….」と思ったので忘れられない。考えてみると、初めて食べた時のことを覚えているお菓子というのは他にない。そういう意味で思い入れのあるお菓子なのである。「キャラメルより柔らかく、ガムと違って飲み込んでよい」という程度の印象であったが、その後、「グミ」はどんどん知名度があがって、人気も出て、おじさんから送られてきたものと同じ商品もスーパーで見かけるようになった。私は「あの『グミ』がなぁ……」とか思ったりもした。

だからなんだということもないただのグミの思い出である。そんな思い入れ込みで食べると味わい深いお菓子である。(編集さん、ありがとうございます。)でもやっぱり、知らないおじさんの質問には答えない方がいいと思う。グミが送られてきたのは、ラッキーなケースである。



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# by mag-akino | 2015-07-07 00:45

飛んでいったネジが戻ってきた話

先日書いた通り、サングラスのツルの部分のネジがどこかに飛んでいった。

そのネジが10月21日に出てきた。飛んでいったのが9月25日頃だったので、ほぼ一ヶ月行方不明だったことになる。家の中にあるのはわかっていたので、なくしたと認められずにいたのだが、やはり室内にあった。台所のタイルの目地のところにはまっていたのが、小さいほうきで掃き掃除をしたら飛び出てきたのである。(我が家には掃除機がないので、普段はクイックルワイパーで掃除しているのだが、クイックルワイパーでは目地のゴミはとれていないこともわかった。)

それで早速、サングラスを修理したかというとそうではない。実は、その一ヶ月の間に「メガネ修理キット」を持っている友人が既にサングラスを直してくれていたのである。「メガネ修理キット」というのは、微妙に違うがどれも極小のネジとネジ回しが大量に詰まっている箱で、友人はそれをネットで買ったそうだ。そこから合いそうなネジを選んではめてみたら、サングラスは直った。あれだけいろいろな種類のネジがあったのに、元のネジと全く同じ物はなかったので「世の中には本当にいろいろな種類のネジがあるのだ」ということもわかった。そして後日、お礼に夕食を振る舞おうと、いつもより激しく料理したら台所の床が汚れたので、ほうきで掃除したらネジが飛び出てきたのである。

そんな訳でネジは出てきたのだが、はめるところがなくなってしまった。仕方ないので、机の上にいつも置いてある、「よく使う文具を適当に入れてあるトレー」にとりあえず入れておくことにした。それから今日、11月30日まで一度もそのネジを見なかった。そのトレーの中にあるのはわかっているのだが、極小なので見ようとしないと見えないのである。

それが、先ほど水張りをしようとした時である。紙の裏面に刷毛で水を塗り、紙が伸びる間に水張りテープを切って、さて張ろうとして、刷毛を手に取ったら、ガラスの器の水の中に小さなネジが入っていたのである。いつ入ったのかわからないが、紙に水を塗った時は気づかなかった。そのガラスの器は、普段ヨーグルトを食べる時などに使っているものなので、元から器に入っていたとは思えなかった。では、刷毛に付いていたことになるが、刷毛は机の下の道具入れに入れてあり、上に目隠しの布もかけてあるのである。変だなぁと思いつつ、とりあえず水張りをした。水が乾くとうまく張れないのだ。

二枚水張りをしてから、トレーの底を探ってみたら、そこにもネジがあった。こちらが飛んでいって戻ってきたネジである。水の中から出てきた方を改めてよく見たら、ネジではなく釘であった。この釘がなんの釘なのかは全然わからないのだが、とりあえず又、トレーに入れておいた。私の家には今、極小のネジと釘が一つずつ余っている。



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# by mag-akino | 2014-12-01 11:17

飛んでいったネジの話

夏の間、日差しがまぶしいので安物のサングラスをかけていた。安物のせいかよくネジが外れた。本体と左側のツルの接合部のネジで、とても小さい。二ミリくらいである。

はじめてネジが外れたのは、地下鉄から降りて、ポケットからサングラスを出してかけようとした時である。左側のツルが突然とれたので驚いた。ポケットを探ったら小さいネジが入っていたので、慎重につまみだして、爪の先で回して修理した。

それからも何回か外れた。毎回出先であった。「今度こそネジがなくなったかな」と思い、ポケットや鞄の底を探すと、毎回ちゃんと出てきた。本当に極小なので、毎回なくしたのかと思うのだが、毎回実はあるのである。

先日、帰宅して鞄からサングラスを出したらまたツルが外れていた。鞄の荷物を全部だし、底の隅を探ったらネジがみつかったので、いつものように修理しようとしたら、うっかりネジを落としてしまった。机の上で一度弾んだところまでは見ていたのだが、その先がわからなくなった。

地下鉄の中や、道端で修理する度に、「今ここで落としたら絶対に見つからない」と思って注意していたのである。今回は自宅なので油断した。なんとなく飛んで行った方向を探していみたが、みつからなかった。床の掃除をしてみたが、出てこなかった。家の中には絶対にあるのだが、完全になくしものである。

家の中にあるのはわかっているので、まだなくしたと認められない。以前、マンションの七階からエビが飛んでいった、と思ったら台所から出て来たこともあるので、サングラスはとっておこうと思う。そのうち、思いも寄らないところから出てきそうである。


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# by mag-akino | 2014-09-30 07:05

いつもより長い

先日の夜、普段からよく行くレストランに向かって、いつもの道を歩いていた時のことである。アメリカ人の友達と一緒だったのだが、会話が途切れた瞬間にふと「この道、いつもより長くないか?」と思った。そこで友達に「この道、いつもより長くないか?」ときいたら、「確かに長い」と答えたのだった。

こういう感じを昔の人は「狐に化かされる」と言ったのかもね、と言いたかったのだが、「狐に化かされる」というのを英語でどう言えばいいのかわからなかった。いろいろ説明してはみたものの、伝わらなかったようである。友達は「つまりそれはイソップ童話かなにかの、小鳥をおだてて口元で歌わせて食べてしまうキツネ、みたいなことだろう」と言った。全然伝わっていない。そうこうしているうちにレストランに着いた。感覚的には「いつもの二倍弱」長かった。

そういえばこんなこともたまにある。

私はアパートの四階に住んでいる。エレベーターがないのでいつも、あと二階、あと一階、となんとなく数えながら歩いて上っている。降りる時は数えない。数えないでただボンヤリ降りているのだが、たまに降りる途中でふと「いつもより多く降りてないか?」と思うことがある。いつもより一階分多く降りている気がするのである。これも「狐に化かされた」ように感じる。

どちらも測ったり数えたりしていないので、正確にはわからないが、本気で「狐に化かされた」と思っている訳ではない。たぶん気のせいである。先日の場合、「いつもより暗かったこと」がいつもの二倍弱に感じた原因だと思う。夏の間は日没前にレストランにたどり着いていたのだが、ここのところ日没が早くなり、先日そこを歩いた時はもう日がくれていた。明るいと庭の花などを眺めながら楽しく歩けるのだが、暗いと眺めるものがなくて暇なのである。暇なせいでいつもより長く感じたのだろう、と友達に言ったら、これはスンナリ通じた。

なかなか伝わらないことと、スンナリ通じること、のどっちが正解っぽいかというとスンナリ通じた方だと思う。(つまり当たり前なのである。)しかし、どっちが正解だった方がおもしろいか、というと、なかなか伝わらない方だと思う。いつもより一階分多く降りているように感じる件に関しては、今のところスンナリ通じそうな理由が思いつかないので、おもしろいままである。


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私は狐に化かされたような気がした。
I felt as if I had been bewitched by a fox. 
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# by mag-akino | 2014-09-23 09:55

「よく見ろ」

私が11か12の日曜日のことだ。誰からかは忘れたが、何か箱に入ったものをいただいた。私はその箱をあけようとしていたのである。しかし、その箱がどうしてもあかないのだった。

変わった作りの箱で、どこが蓋でどこが本体かもよくわからなかった。適当に蓋っぽいところを引っ張ったりしてみたのだが、どうしてもあかないので、そばで新聞を読んでいた父に「あけて」と差し出した。父は一言「よく見ろ」と言って、また新聞を読み始めた。

私は仕方なくもう一度箱を見た。箱の角をそれぞれよく見てみると、蝶番の部分の構造がわかった。蓋と本体の境もわかったので、そこに爪を入れて引っ張ってみたら箱があいた。

今でも箱を開ける時はもちろん、「なんかよくわかんないな」という時に、この言葉を思い出し実行している。よく見てみると、わからないものがわかるようになることは実際に驚くほど多い。たぶんそんなつもりで言ったのではないと思うが、この父の「格言」はかなり役にたっている。

一方、母の格言は「目を見て話さない人を信用してはならない」というものであった。この言葉は、大人になった今考えてみると疑わしいところがある。長い付き合いの仲の良い友人で、今まで一度も目が合ったことがない人がいるが、彼女はただの照れ屋であって、信用して大丈夫である。母の言いたいこともわかるが、子に授ける格言対決では父の圧勝である。

どちらの格言も子供の頃に授かったので、両方組み合わせて素直に取り入れてしまい、「人の目を必要以上によく見る」悪い癖がついた。


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見すぎ。
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# by mag-akino | 2014-07-25 23:26


アーティスト近藤聡乃ニューヨーク滞在制作記


by mag-akino

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近藤聡乃 / KONDOH Akino

2012年5月までの文章が本になりました。



不思議というには地味な話』(ナナロク社)

57編、すべてに描き下ろし挿画つき。26ぺージの描き下ろし漫画「もともこもみもふたも」も収録。



2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、2002年アニメーション「電車かもしれない」で知久寿焼(音楽グループ、元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品で NHKデジタルスタジアム、アニメーション部門年間グランプリを獲得。シャープペンを使って繊細なタッチで描くドローイングに加え、最近 では油彩にも着手している。2008年、2冊目のマンガ単行本「いつものはなし」(青林 工藝舎)を出版。

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