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六割日記 その二 2017年3月5日「草原のマンティス」

 先日、アメリカ人の夫と話していたらふと「カマキリ」の話題になった。なぜカマキリの話題になったのかは覚えていない。カマキリという名前の意味を英語で説明しようとして、「鎌」の英訳でつまずいて辞書を引いたりしているうちに忘れてしまったようだ。ちなみに、鎌は英語で「sickle」、カマキリは「mantis」なのだが、「マンティス」より「カマキリ」の方がカマキリっぽい感じがするのは日本人だけだろうか。

 私の実家はマンションの七階にある。まだ日本に住んでいた頃、その実家の玄関の前の廊下のところでカマキリとセミが闘っているのを見た。夏のある日、自室で制作していると、外で異様にセミが騒ぐのでドアを開けてみたら、セミがカマキリに半分食べられていたのである。カマキリついでに、夫にこの話もしたのだが本当に伝わったのか怪しい反応をしていた。私の英語が変だったのかもしれない。

 ついでに思い出したので「カマキリは賢いと思う」という話もしてみた。子どもの頃の話である。近所の空き地で子カマキリを捕まえた私は、とりあえず家に連れ帰り、母に見せたり、眺めたりした。しばらく楽しんで、そろそろ元いたところに返さないと、と思ったのだが面倒臭かったので、玄関を開けて、廊下にカマキリを離して、「では」と戸を閉めたのである。それからしばらくしたある日のことである。小学校から帰ってきたら、玄関の前にカマキリがいた。先日捕まえたカマキリと同じ色で、少し大きかった。私は「あのカマキリが大きくなって戻ってきた」と思った。そして、これと全く同じことがその後二回も起こったのである。三匹のカマキリが私のところに帰ってきたことになる。

 「という訳でカマキリは賢いと思う、鮭と同じように帰ってくるのだ」と夫に話したのだが、夫はますます怪しい反応をしていた。今度は英語も変な上に、話自体も変だったので、ますます伝わらなかったのだろう。

 アメリカのマンティスも帰ってくるのだろうかと考えながら、本を読んでいるうちに眠ってしまって、夢を見た。私は子どもに戻っていて、アメリカのどこか草原にいた。足元にマンティスがいたので「私を覚えているか」と訊いてみたら、英語で返答されて聴き取れなかった。草原には風が吹いていて、マンティスの声は小さかったのである。私はいつまでたってもヒアリングが苦手で、周りがうるさかったり、早口だったり、ちょっとしたことで聴き取れなくなってしまう。もっと耳を鍛えないと、と思いながら目が覚めた。


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by mag-akino | 2017-03-06 10:23

六割日記 その一 2016年11月25日「半蔵門線の蜘蛛」

 先日、マンガの単行本が発売されて、そのイベント開催のため帰国した。成田空港に到着したのは、11月13日の午後である。私は迎えに来てくれた母と一緒に、京成電鉄に乗り実家に向かった。私の実家は空港から京成一本で帰ることができて便利である。

 車内で母と話しながらふと見上げると、向かいの席の上の網棚から蜘蛛がぶら下がっていた。電車に蜘蛛とは珍しいと思い、母に「蜘蛛が」と教えたら、そう驚かないので、「最近は電車に蜘蛛がいるの?」と訊いてみたが、そんなことはないと言う。

 その翌々日、私はスカイツリーに向かっていた。スカイツリーが完成したのは2012年である。私はその時もう渡米していた。それからずっとのぼる機会を逃して、今回ついにという訳であるが、私は最寄り駅がどこかも知らなかった。押上らしい。押上ってどうやって行くのだろうと調べたら、総武線で錦糸町に出て、半蔵門線に乗る、という経路が良さそうだった。

 その総武線の中でまた蜘蛛を見た。ずっと日本に住んでいる母は気づいていないようだが、どうやら最近は電車に蜘蛛がいるようである。錦糸町で総武線を降り、半蔵門線に乗り換えたらそこにも蜘蛛がいた。やはり、と思った。

 私は日本のラジオも聴くし、インターネットで日本に関する情報も頻繁に目にしているので、アメリカに8年住んでいる海外在住者のわりに日本の世相や流行の変化についていっているつもりであった。しかし、蜘蛛のことは全く知らなかった。こういう些細な変化は住んでいる人こそ気がつかないもので、だからアメリカにまで伝わってこなかったのかもしれない。日本もいろいろ変化しているのだ、大変だな、と考えていたら
「アメリカだって大統領選で大変でしょう」と蜘蛛が言った。
「それはそうですけど」と応えつつ、最近の蜘蛛は見聞が広いなと思っていたら
「地下鉄の蜘蛛は地上の電車の蜘蛛より頭が良いのです」と言う。
太陽の光にあたると蜘蛛はバカになりがちなのだそうだ。どうやら総武線や京成の蜘蛛と一緒にするな、と言いたいらしかった。

 ……賢いのは良いのだが、地下鉄にいる蜘蛛はメスが8割なので、将来的に子供が産めるか大変不安、それに、子育てには地上が良いが、地上に出たとたん全てを忘れてしまいそうでそれも不安、と蜘蛛(メス)は話した。

 私は「それって本当の話かな」とぼんやり聞きつつ、そういえば蜘蛛は昆虫じゃないんだよな、足が8本あるし、と考えているうちにもう押上に着いた。錦糸町押上間は一駅なのである。
 
スカイツリーから霧に包まれた富士山が見えた。富士山は思い描いていたより遥かに美しく、何か良いことがありそうな気分になった。富士山にも蜘蛛はいるのだろうか、と考えて、いたとしてもバカになりがちなんだよな、と思った。
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by mag-akino | 2016-11-26 23:43

グミの思い出

先日、日本の編集さんから届いた荷物を開けたら、グミが入っていた。お菓子のグミである。荷物のメインは私のマンガが載った雑誌で、グミはおまけとして本と箱の隙間に六袋詰まっていた。グミというのは梱包材にもなるのだなと思った。

電話で打ち合わせをした際にお礼を言ったところ、「近藤さんが帰国した際に、カバンにグミが入っているのをチラリと見かけたので」とのことだった。たしかに私は先日帰国した際に、疲れてどうしようもない時に食べようとグミを持ち歩いていたのである。それで、「近藤はグミが大好き」だと思われたのであるが、実は大好きな訳ではなくて、単純に手が汚れずに素早く食べられるから「グミ」だったのである。

しかし、私はグミには思い入れがある。
小学校低学年の頃である。学校から帰り道、自宅マンション前で、車の中から知らないおじさんに声をかけられた。「○○さんの家を知ってる?」と訊かれたのである。当時は誘拐事件などもあったし、「知らないおじさんと話してはいけません」、「車の中から話しかけられても近寄ってはいけません」と親や先生からよく言われてもいたので、すぐに「これか!」と思った。しかし、私がつい足を止めてしまったのは、「○○さん」というのは私の友達の家のことで、その子も目の前の私と同じマンションに住んでいたためである。ちょっと迷った末、私はおじさんを○○さんの家に案内することにした。おじさんは本当に○○さんの知人であった。

その数日後である。私宛に知らない人から小包が届いた。開けてみると、手紙が入っていて、送り主は先日のおじさんだった。○○さんに私の住所を聞いて、お礼を送ってくれたのだ。おじさんは製菓会社に勤めているそうで、お礼は新商品のお菓子だった。それがグミだったのである。

私が「グミ」というものを知ったのはこの時が初めてであった。知らないおじさんから送られてきた知らないお菓子を食べて、「これがグミか…….」と思ったので忘れられない。考えてみると、初めて食べた時のことを覚えているお菓子というのは他にない。そういう意味で思い入れのあるお菓子なのである。「キャラメルより柔らかく、ガムと違って飲み込んでよい」という程度の印象であったが、その後、「グミ」はどんどん知名度があがって、人気も出て、おじさんから送られてきたものと同じ商品もスーパーで見かけるようになった。私は「あの『グミ』がなぁ……」とか思ったりもした。

だからなんだということもないただのグミの思い出である。そんな思い入れ込みで食べると味わい深いお菓子である。(編集さん、ありがとうございます。)でもやっぱり、知らないおじさんの質問には答えない方がいいと思う。グミが送られてきたのは、ラッキーなケースである。



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by mag-akino | 2015-07-07 00:45

飛んでいったネジが戻ってきた話

先日書いた通り、サングラスのツルの部分のネジがどこかに飛んでいった。

そのネジが10月21日に出てきた。飛んでいったのが9月25日頃だったので、ほぼ一ヶ月行方不明だったことになる。家の中にあるのはわかっていたので、なくしたと認められずにいたのだが、やはり室内にあった。台所のタイルの目地のところにはまっていたのが、小さいほうきで掃き掃除をしたら飛び出てきたのである。(我が家には掃除機がないので、普段はクイックルワイパーで掃除しているのだが、クイックルワイパーでは目地のゴミはとれていないこともわかった。)

それで早速、サングラスを修理したかというとそうではない。実は、その一ヶ月の間に「メガネ修理キット」を持っている友人が既にサングラスを直してくれていたのである。「メガネ修理キット」というのは、微妙に違うがどれも極小のネジとネジ回しが大量に詰まっている箱で、友人はそれをネットで買ったそうだ。そこから合いそうなネジを選んではめてみたら、サングラスは直った。あれだけいろいろな種類のネジがあったのに、元のネジと全く同じ物はなかったので「世の中には本当にいろいろな種類のネジがあるのだ」ということもわかった。そして後日、お礼に夕食を振る舞おうと、いつもより激しく料理したら台所の床が汚れたので、ほうきで掃除したらネジが飛び出てきたのである。

そんな訳でネジは出てきたのだが、はめるところがなくなってしまった。仕方ないので、机の上にいつも置いてある、「よく使う文具を適当に入れてあるトレー」にとりあえず入れておくことにした。それから今日、11月30日まで一度もそのネジを見なかった。そのトレーの中にあるのはわかっているのだが、極小なので見ようとしないと見えないのである。

それが、先ほど水張りをしようとした時である。紙の裏面に刷毛で水を塗り、紙が伸びる間に水張りテープを切って、さて張ろうとして、刷毛を手に取ったら、ガラスの器の水の中に小さなネジが入っていたのである。いつ入ったのかわからないが、紙に水を塗った時は気づかなかった。そのガラスの器は、普段ヨーグルトを食べる時などに使っているものなので、元から器に入っていたとは思えなかった。では、刷毛に付いていたことになるが、刷毛は机の下の道具入れに入れてあり、上に目隠しの布もかけてあるのである。変だなぁと思いつつ、とりあえず水張りをした。水が乾くとうまく張れないのだ。

二枚水張りをしてから、トレーの底を探ってみたら、そこにもネジがあった。こちらが飛んでいって戻ってきたネジである。水の中から出てきた方を改めてよく見たら、ネジではなく釘であった。この釘がなんの釘なのかは全然わからないのだが、とりあえず又、トレーに入れておいた。私の家には今、極小のネジと釘が一つずつ余っている。



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by mag-akino | 2014-12-01 11:17

飛んでいったネジの話

夏の間、日差しがまぶしいので安物のサングラスをかけていた。安物のせいかよくネジが外れた。本体と左側のツルの接合部のネジで、とても小さい。二ミリくらいである。

はじめてネジが外れたのは、地下鉄から降りて、ポケットからサングラスを出してかけようとした時である。左側のツルが突然とれたので驚いた。ポケットを探ったら小さいネジが入っていたので、慎重につまみだして、爪の先で回して修理した。

それからも何回か外れた。毎回出先であった。「今度こそネジがなくなったかな」と思い、ポケットや鞄の底を探すと、毎回ちゃんと出てきた。本当に極小なので、毎回なくしたのかと思うのだが、毎回実はあるのである。

先日、帰宅して鞄からサングラスを出したらまたツルが外れていた。鞄の荷物を全部だし、底の隅を探ったらネジがみつかったので、いつものように修理しようとしたら、うっかりネジを落としてしまった。机の上で一度弾んだところまでは見ていたのだが、その先がわからなくなった。

地下鉄の中や、道端で修理する度に、「今ここで落としたら絶対に見つからない」と思って注意していたのである。今回は自宅なので油断した。なんとなく飛んで行った方向を探していみたが、みつからなかった。床の掃除をしてみたが、出てこなかった。家の中には絶対にあるのだが、完全になくしものである。

家の中にあるのはわかっているので、まだなくしたと認められない。以前、マンションの七階からエビが飛んでいった、と思ったら台所から出て来たこともあるので、サングラスはとっておこうと思う。そのうち、思いも寄らないところから出てきそうである。


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by mag-akino | 2014-09-30 07:05

いつもより長い

先日の夜、普段からよく行くレストランに向かって、いつもの道を歩いていた時のことである。アメリカ人の友達と一緒だったのだが、会話が途切れた瞬間にふと「この道、いつもより長くないか?」と思った。そこで友達に「この道、いつもより長くないか?」ときいたら、「確かに長い」と答えたのだった。

こういう感じを昔の人は「狐に化かされる」と言ったのかもね、と言いたかったのだが、「狐に化かされる」というのを英語でどう言えばいいのかわからなかった。いろいろ説明してはみたものの、伝わらなかったようである。友達は「つまりそれはイソップ童話かなにかの、小鳥をおだてて口元で歌わせて食べてしまうキツネ、みたいなことだろう」と言った。全然伝わっていない。そうこうしているうちにレストランに着いた。感覚的には「いつもの二倍弱」長かった。

そういえばこんなこともたまにある。

私はアパートの四階に住んでいる。エレベーターがないのでいつも、あと二階、あと一階、となんとなく数えながら歩いて上っている。降りる時は数えない。数えないでただボンヤリ降りているのだが、たまに降りる途中でふと「いつもより多く降りてないか?」と思うことがある。いつもより一階分多く降りている気がするのである。これも「狐に化かされた」ように感じる。

どちらも測ったり数えたりしていないので、正確にはわからないが、本気で「狐に化かされた」と思っている訳ではない。たぶん気のせいである。先日の場合、「いつもより暗かったこと」がいつもの二倍弱に感じた原因だと思う。夏の間は日没前にレストランにたどり着いていたのだが、ここのところ日没が早くなり、先日そこを歩いた時はもう日がくれていた。明るいと庭の花などを眺めながら楽しく歩けるのだが、暗いと眺めるものがなくて暇なのである。暇なせいでいつもより長く感じたのだろう、と友達に言ったら、これはスンナリ通じた。

なかなか伝わらないことと、スンナリ通じること、のどっちが正解っぽいかというとスンナリ通じた方だと思う。(つまり当たり前なのである。)しかし、どっちが正解だった方がおもしろいか、というと、なかなか伝わらない方だと思う。いつもより一階分多く降りているように感じる件に関しては、今のところスンナリ通じそうな理由が思いつかないので、おもしろいままである。


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私は狐に化かされたような気がした。
I felt as if I had been bewitched by a fox. 
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by mag-akino | 2014-09-23 09:55

「よく見ろ」

私が11か12の日曜日のことだ。誰からかは忘れたが、何か箱に入ったものをいただいた。私はその箱をあけようとしていたのである。しかし、その箱がどうしてもあかないのだった。

変わった作りの箱で、どこが蓋でどこが本体かもよくわからなかった。適当に蓋っぽいところを引っ張ったりしてみたのだが、どうしてもあかないので、そばで新聞を読んでいた父に「あけて」と差し出した。父は一言「よく見ろ」と言って、また新聞を読み始めた。

私は仕方なくもう一度箱を見た。箱の角をそれぞれよく見てみると、蝶番の部分の構造がわかった。蓋と本体の境もわかったので、そこに爪を入れて引っ張ってみたら箱があいた。

今でも箱を開ける時はもちろん、「なんかよくわかんないな」という時に、この言葉を思い出し実行している。よく見てみると、わからないものがわかるようになることは実際に驚くほど多い。たぶんそんなつもりで言ったのではないと思うが、この父の「格言」はかなり役にたっている。

一方、母の格言は「目を見て話さない人を信用してはならない」というものであった。この言葉は、大人になった今考えてみると疑わしいところがある。長い付き合いの仲の良い友人で、今まで一度も目が合ったことがない人がいるが、彼女はただの照れ屋であって、信用して大丈夫である。母の言いたいこともわかるが、子に授ける格言対決では父の圧勝である。

どちらの格言も子供の頃に授かったので、両方組み合わせて素直に取り入れてしまい、「人の目を必要以上によく見る」悪い癖がついた。


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見すぎ。
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by mag-akino | 2014-07-25 23:26

「女子中学生」と大便事件

六月の帰国中、写真家の梅佳代さんと編集の田中さんと三人で食事をすることになった。私のエッセイマンガの担当の田中さんが、梅佳代さんとも親交があり、せっかくなので三人で御飯でも食べてみませんか、と誘ってくださったのである。

梅佳代さんとお会いしたのはこれが二度目である。一度目は、この数日前、現在開催されている展示のレセプションであった。そして、「女子中学生」というのは、この展示で梅佳代さんが出品している作品のタイトルである。

「女子中学生」は、恥ずかしいような切ないような不思議な作品である。私個人の印象で失礼ながら簡単に説明すると、女子中学生が仲間で盛り上がっているうちにたがが外れて、本当は人にみせてはいけない部分をさらけだしてしまった瞬間を、まだ十代だった梅佳代さんがすかさず押さえた作品である。みていてなんだか恥ずかしくなるのは、「自分にもそんなところがあったな」と思うからで、切なくなるのは「自分はもうああはなれないな」と彼女たちの明るい笑顔をみて感じるためである。

写真家というのもまた、私にとっては不思議な存在である。先日、メトロポリタンミュージアムで開催されているGarry Winograndの展示会場で、「New York World's Fair」という作品を観た時にも感じたのだが、「どうしてこの瞬間を撮ることができたのか?」と不思議なのだ。現像された写真を観ると「ああ、私もこういうハッとする光景を見たことがあるなぁ」とは思うのだが、私にはそれが撮れないのである。その瞬間にシャッターを切った反射神経ももちろん素晴らしいのだが、何かに「ハッとする」感覚自体が鋭いのだろう。私にそれが撮れないのは、そういう瞬間に「ハッとしなかった」か「ハッとしたことに気づかなかった」からだと思う。

そう言えば、レセプションの最中に、梅佳代さんがシャッターを切った時も驚いた。キュレーター・館長の言葉の後、壇上に並んだ作家の紹介が終わった時、お客さんが拍手を始める前の一瞬のところで、私の隣に立っていた梅佳代さんが突然、壇上からお客さんに向かってシャッターを切ったのである。あの、なんだか変な一瞬の間のことを思い返すと、やはり「ハッとする」のであるが、私はその時には気づかなかった。それにしても一瞬のことであるから、もしかしたら「ハッとしてからシャッターを押した」のではなく、「ハッとする予感がしてカメラを構えて待っていた」のかもしれない。そのくらいの素早さであった。

さて、六月のその日、恵比寿で真面目に打ち合わせをすませた田中さんと私は、「すっかり馬喰町で待ちくたびれている」という梅佳代さんの元へ向かった。(なぜ、待ち合わせの時間が決まっていたのに、待ちくたびれる状況になるのかがよくわからない。)

ちなみに梅佳代さんと私は、生まれ年は違うが同じ学年の同級生である。大学卒業以降、同級生と出会うことはめったになくなり、その日私は「久しぶりに同い年のお友達ができるのでは」とときめいていた。そんな訳で、馬喰町で合流した私たちは、嵐の大野君、小池栄子、壇蜜などが同じ学年である、と同級生ネタで盛り上がった後、「女子中学生」の話になったのである。女子中学生の頃はああいう「力」みたいなものがありましたね、と三十三歳同士で納得していたら、ふと高校生の時に友達からきいた話を思い出したのだった。

私が通っていた美術予備校で、別の高校に通っていた一つ歳上の女の子からきいた話である。中学の修学旅行の夜、なんだか盛り上がった彼女たちは、最終的には大便を投げ合ってしまったというのだ。

ふと思い出して話したら、二人があまりに驚愕してくれるので、私もつられて「改めてビックリ」してしまった。オチャビ時代にきいたオモシロエピソードの一つと思っていたが、確かによく考えるととんでもない話である。まず、どういう経緯で①自分の大便を人にみせ、②それを手に取り、③人に投げたのか、全然わからない。(キャッチボールのように投げたか、雪合戦のように投げたのかは知らない。)①から③まで、どれも「越える」のにかなり気合いがいる高い壁であり、どういう盛り上がり方をしたら、そこを乗り越えられるのはわからないし、超えたくない。私たちはひとしきり驚愕した後、そういうことができるのも「女子中学生の力」なのかもしれませんね、と三十代の女三人でシミジミしたのであった。

ニューヨークに戻ってからも度々「大便事件」のことを思い出しては「女子中学生って恐ろしい」と思っている。しかし、三十代の私たちも、「大便事件」で驚愕した後、どういう流れか忘れたが、最終的には三十代女性の結婚と出産、そしてワーキングプアなど、真面目な話をして「ニューヨークにも遊びに来てね〜」と別れたのだから、まだまだ「飛躍する力」は残っているようである。



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by mag-akino | 2014-07-05 05:30

まだ産んでいない子供

ニューヨークに住み始めるちょっと前の2008年のことである。私は夢の中で子供を産んだ。女の子であった。そして私は夢の中で、子供の親と思われる男性に向かって語り出した。

この子の名前は「窓乃」にする。風を通す窓のような人になるように、という意味を込めた「窓」に、私の名前から「乃」の字を取って「窓乃」である。そして「まどの」は「ノマド」のアナグラムでもあり、どこに行っても強く生きていけるように、という願いが込められている。

このように、相手に有無を言う隙を与えぬ素早さでテキパキと宣言したところで目が覚めて、私は「ガ〜ン」とした。というのも、私は妊娠出産はおろか結婚のことさえ、全く考えたことがなかったからである。私は「ガ〜ン」としたまま、「ノマドって何だっけ?」と辞書をひいたのであった。ついでに夫と思われる男性についても思い返してみたが、ただ「男性」というだけで、日本人かどうかも全く思い出せなかった。

この夢をみてから、子供を産んだら「窓乃」と名付けなくてはいけないのではないか、という思いにとらわれている。夢から六年たって、私はまだ子供を産んでいない。実際には存在していない子供なのだが、名前がついてしまったので、「まだ産んでいない子供」のように感じられる。たまに「まだ死んでいる子供」というふうにも思う。



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ところで、出産の夢って、とても縁起がいいらしいですね。
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by mag-akino | 2014-03-27 06:31

夢の代々木駅と半地下の御茶ノ水

たぶん誰もが思い当たると思うが、私にも「夢の中でたまに行く場所」というのがある。

最近行くようになり、昨晩も行き、もう三回以上になるので、だんだんどの辺りなのかわかってきた場所がある。どうも夢の中の六本木—代々木間あたりに、現実にはない電車が走っており、現実とは別の「代々木駅」というのがあるようだ。私は総武線に乗り継いで家に帰りたいのだが、その「夢の代々木駅」には総武線が停まらない。仕方なく徒歩で川向こうの「本当の代々木駅」に向かうのだが、この二つの代々木駅間を歩くのは気分が良い。いつも季節は春で、天気も良く、線路沿いには菜の花が咲いている。そして、「ここは乗り換えが面倒だが、それなりに好きだな」と毎回思うのである。

もう一カ所、よく行く場所が、お茶の水付近の半地下の街である。総武線御茶ノ水駅で下車して、聖橋口改札を出ると、現実には新御茶ノ水駅入り口があるはずの付近に、3メートルほど下る階段があり、雑多な街が広がっている。全体的に現実より3メートルほど低く、薄暗いので、「半地下の御茶ノ水」と呼んでいるのだが、その半地下の街の喫茶店で私はよく甘いものを食べるのである。半地下の街をぬけたところに、紫陽花がきれいな水辺の公園がある。

夢の中でたまに乗る電車、というのもあり、これは座席がボックス席になっている青い電車である。窓から外をみると、水の中から蟻塚のような家が乱立していて明らかに現実とは違うのだが、私は「いつもの帰り道で、もうすぐ家だ」と思っている。たぶん、この電車は「夢の中の総武線」なのである。

おそらく、「夢の中の代々木駅」に停車するのが、この「青い総武線」であり、「半地下の御茶ノ水」あたりから千葉方面にかけて、少しずつ薄暗く、水に沈んでいっている。



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by mag-akino | 2014-03-23 03:11


アーティスト近藤聡乃ニューヨーク滞在制作記


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近藤聡乃 / KONDOH Akino

2012年5月までの文章が本になりました。

不思議というには地味な話』(ナナロク社)

57編、すべてに描き下ろし挿画つき。26ぺージの描き下ろし漫画「もともこもみもふたも」も収録。



2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、2002年アニメーション「電車かもしれない」で知久寿焼(音楽グループ、元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品で NHKデジタルスタジアム、アニメーション部門年間グランプリを獲得。シャープペンを使って繊細なタッチで描くドローイングに加え、最近 では油彩にも着手している。2008年、2冊目のマンガ単行本「いつものはなし」(青林 工藝舎)を出版。

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