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うろおぼえ

大学生の時、家族でテレビをみていたら、「うろおぼえ」という言葉に関するクイズが出ました。そして、母がそれまでずっと「うるおぼえ」と間違って覚えていたことがわかりました。

それ以来「うろおぼえ」という言葉が耳につくようになりました。注意してきいていると、どうも1/3くらいの人が「うるおぼえ」と間違えているようです。

「うろおぼえ」を辞書でひいてみると「確かでなく、ぼんやりと覚えていること」と出ていました。「うろおぼえ」だと「よくわからなくて森の中をうろうろしている感じ」がしますが、「うるおぼえ」だと「よくわからなくてもう泣きそうな感じ」です。そう考えてみると、それはそれで捨てがたい言葉だと思います。
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by mag-akino | 2011-12-09 08:07

ユウコと間違われる

大学帰りの京王線が新宿に着く直前、私の前に座っていた母娘が私の顔をみて何かヒソヒソしゃべりだしました。そして突然「ユウコちゃん?」「ユウコちゃんよね?」と話しかけてきました。

面倒だったので、聞こえないふりをして電車を降りたら、親子も「ユウコちゃん!」と呼びながら降りてきました。しばらく大きな声で「ユウコちゃん!ユウコちゃん!」と後ろの方から呼びかけつづけられたので、こんなことならはじめにはっきり「違います」と言えば良かったと後悔しました。まわりの人はきっと私のことを「親子を無視しているユウコ」だと思ったはずです。本物のユウコも「私達を完全に無視した!」と恨まれて気の毒です。

私は「聡乃」という名前ですが、本当は違う名前になる予定だったそうです。名前の漢字が受理されなかったために、「聡乃」になることになったのですが、違った名前で呼ばれていた時期があると思うと変な感じです。赤ん坊の時の記憶は全くありませんが、呼び名が「聡乃」に切り替わった瞬間に「あれ?」くらいは思ったかもしれません。

名前の「音の感じ」はその人の性格に大きく影響するとききました。例えば「ぱびぷぺぽ」などの破裂音が入っている名前(いっぺいとか、てっぺいとか、たぶんポールとかも)は、呼ばれる度に「ペチンとぶたれるような印象」を受けるため、その結果、「クラスのからかわれ役のひょうきんな子」に育ったりするらしいです。そう言われてみると、「あの名前の人は自己中心的で、みんな似たような性格してるなぁ」と常々思っていた名前もあるので、これはやはり音の影響のような気もします。

それにしても、違う名前で追いかけられる、というのはなかなか恐ろしい体験でした。前の名前で追いかけられなくて良かったと思います。
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by mag-akino | 2011-12-05 04:47

頭を強打した時のこと

子供の時、公園で一人で遊んでいたら、頭を強く打ってしまったことがあります。ブランコの周りの金属パイプの冊の上を綱渡りのように歩いていたら、バランスを崩して下の花壇のコンクリの枠に後頭部を打ってしまいました。

痛いというより、頭からものすごく大きな音がしたことに驚き、「これはまずい」「死ぬかも」と思いました。仰向けに寝転んで呆然としていたら、空に飛行機が飛んでいて、「私だけこんなところで一人で死にそうだ」と、寂しくなりました。

鈴木翁二さんの「じごく」というマンガの冒頭に、飛行機が空を飛んでいるシーンがあります。頭を強打した時に見たはずの飛行機を思い出そうとすると、この「じごく」の1コマが浮かんできます。強打した音の方は割と具体的に思い出せるのですが、実際の光景は「じごく」の1コマに置き換わってしまい、思い出すことができません。

鈴木翁二さんのマンガを読むと、子供の時のふとした寂しさを思い出してしまいそうになるのが不思議です。飛行機のコマがきっかけとなって、マンガを読むと寂しさ感じてしまうのか、頭を打った時の寂しさが、マンガの寂しさと重なって、飛行機の光景が上書きされてしまったのか、何か心の中に踏み込まれるようなな怖さも感じます。特に「思い出物語」という作品には、私には死んだ妹なんかいないのにそんなことがあったような、自分が死んだ妹だったことを思い出してしまいそうな気持ちにさせられます。

さて、頭を打った後。しばらくぼんやり寝転がっていましたが、周りに全くひとけがなく、誰も駆け寄って来てくれたりしませんでした。ゆっくり起き上がり、立ち上がって歩いてみたら思ったより大丈夫そうだったので、ひとりで家に帰りました。
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by mag-akino | 2011-12-01 12:27

運動神経の悪そうな絵

はじめて文章の書き方を教わった時、横書きと縦書きがまざってしまい、縦書きを左から書く癖がついてしまいました。左から書いた方が手に鉛筆がこすれなくて良いので、今でも自分だけがみるメモは左から書いています。小学校の国語の時間、ノートをとっていると右手が黒くなるのが嫌でした。

はじめの覚え方というのは大切です。縦書きのように、スキーの曲がり方もはじめに覚えるところで失敗しました。それ以来一度も滑ってないので今でもちゃんと曲がれるかわかりません。曲がりたい方と反対の足に体重をかける、と教えてくれればいいのに、右に曲がりたい場合は左足に、などというので、曲がる時にとっさに「えーと、こっちに曲がるということは〜」と考えてしまい、間に合わないのです。

私の場合、そもそも「右と左が瞬時にわからない」ので、縦書きもスキーもややこしくなってしまったのだと思います。右は割と右なのですが、左から考えはじめると「あれ?こっちは右だっけ?」となる時があってゴチャゴチャになります。「お箸を使う手が右手です」という教え方が有名ですが、有名な教え方があるということは、やはり覚えるのが難しいことなのかもしれません。

一番いいのは、お箸がどうのこうのと言う前に、子供の右手を握って「こっちが右」と教える方法だと思います。スキーもゴチャゴチャ考える前に、体で曲がる感覚を掴めば、あとは自然に曲がれるようになったはずです。今さらわかったところで、日常生活の中の「はじめて」はほとんど子供の頃に済んでしまっているのでどうしようもありません。

しかし、私の最大の問題は「体で覚えること自体がうまくできない」ことです。(簡単に言うと運動音痴ということです。)体でピンとこないから「お箸を持つ手は」と頭で考えて補わないとわからないのです。運動だけでなく、方向や距離感など、「広くて大きな感覚」もピンとこないので、大きな絵を描いたり、空間構成する、ということが苦手です。

大きな作品やインスタレーションを観ると、スポーツ万能の先輩を遠くからみつめるような感覚で、憧れの気持ちがわきます。(スポーツ万能の先輩に憧れたことなんて1度もないけど。)小さな作品や、細かい作品、箱の中に入っている作品をみると「この作家、運動神経悪そうだな…」と親しみがわき、実際には小さい作品の方がずっと好きです。(言いがかりかもしれません。)
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by mag-akino | 2011-11-28 00:03

夜道ですれ違ったら一番怖いものは何か

ごくたまに「夜道ですれ違ったら一番怖いものは何か」と夜道で考えることがあります。なぜこんなことをごくたまに考えてしまうのかはわかりませんが、なんだかんだで10年くらい考え続けている問いです。(問い、という程たいそうなものではないけど。)猛獣や、拳銃を持っている人、不審者とかももちろん怖いですが、そういうのは抜きにして、一番怖いのは何だろうか。

「多摩美で有名な怪談」に「芸祭の夜、友達の後ろに頭部が異常に大きい人を見た」というのがあります。「で、どうなったの?」ときくと「さあ...」という感じの、味わい深い怪談です。この話を聞いて以来、「夜道ですれ違ったら」と考えるようになりました。(10年間も…)

そこで毎回「頭部が普通の3倍くらいある人間」から考え始めます。いや、「顔がない人」の方が怖いだろう、と続いて、そしていつも結論としては「二回りくらい小さい自分」が一番怖い、に落ち着きます。(「二回りくらい小さい」というのは、身長が低いとか、痩せているとかいうことではなく、「人としてありえない縮尺」ということです。)

10年たって、学生ではなくなり、ニューヨークに住み始めてもう3年くらいです。それでも「二回りくらい小さい自分」が不動の一位だと思うと、これもまた個人的にはとても味わい深い答えです。

ちなみに「夜、お風呂からでて部屋に戻った時に遭遇したら一番怖いものは何か」という問いもあり、こちらは「自分(等身大)」が不動の一位です。なぜ夜道が二回り小さくて、お風呂の後は等身大なのか。このことこそもっと考えてみるべきかもしれません。
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by mag-akino | 2011-11-24 00:59

意外と忘れている

先日帰国した時、話の種に「何か不思議な話はないか?」と久しぶりに会った友人にきいてみました。「ない」とあっさり言うので、とりとめなく話をしつつ「本当にない?」と節々で探りを入れてみると、二時間後くらいに「…そういえば」とようやく思い出して話してくれました。

その話が、「はっとするほど不思議な話」で、びっくりしたのですが、「そんな不思議なことを忘れていたこと」にもっと驚きました。これを忘れるというなら、一体何なら忘れないのだろう…と怪しんだりしたのですが、落ち着いてよくよく考えると、とても不思議ではあるけれど、ものすごく地味な不思議だとも思えました。体験した後に、病気が治ったり、呪われたりせず、ただその一瞬にものすごく不思議だった出来事です。「とても不思議なことでも地味だと忘れる」とはじめて知りました。

朝起きた瞬間に、みていた夢を思い出そうとすると、すんなり思い出せますが、ちょっとでも間をあけてしまうと、みていたことすら忘れてしまいます。随分前に、毎朝思い出そうとする習慣があり、夢は毎日みているものだとわかったのですが(毎日、というより、たぶん眠る度にみていると思う)、いつの間にかその習慣もなくなりました。「夢を思い出せない」のではなく、「最近夢をみていない」と感じています。

何か、地味で重大なことを忘れているかもしれません。友人の「地味で不思議な話」は、何人かの人に話しておきました。みんな驚いていたけれど、もしかしたら今頃すっかり忘れているかもしれません。
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by mag-akino | 2011-11-23 02:58

子供の頃の頭蓋骨

小学生の時に読んだ歴史学習マンガの一場面で忘れられないものがあります。

たしか竹千代が死んだとみせかける、という場面で、家来が「死んだ証拠に敵に送る」と言って、頭蓋骨を取り出します。さらに「念のため」と言って「これは竹千代様が5歳の時の頭蓋骨、こちらは3歳の時の頭蓋骨…」といって次々に頭蓋骨を取り出す、というギャグシーンでした。

これを読んだ時に、一瞬「…そういえば私の5歳の時の頭蓋骨はどこにあるのかな」と思い、すぐに「ああ、そうか、そんなものはないんだな」と気づいたのですが、なんだかギクリとして忘れられなくなりました。

紙芝居のページに時差があると気づいた時、この頭蓋骨の話を思い出しました。読み手が読んでいる文章は、観客がみている絵の一枚前の絵の裏に書いてあります。つまりページの表と裏に1ページ分の時差があるのですが、薄い紙の表裏にそんなズレがあるかと思うとゾッとします。しかも一枚一枚がズレることでピッタリくっついていて、最後の一枚の裏にははじまりの言葉が書かれているので、永遠にグルグルしているかと思うと何だか恐ろしいです。

どちらも「自分がズレる」ようで怖い、と思った体験です。

もう一つ、小学生の時に、童話版「西遊記」を読んだ時のこと。見開きの挿絵入りの「孫悟空が毛をむしって息をふきかけて大量の分身を出す」という場面でも、「自分がズレる」という感覚になりました。ただ、同時に「あ、ズレても大丈夫なんだ」となぜかホッとしたのですが、なぜだかはよくわかりません。
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by mag-akino | 2011-11-18 01:15

夢の粘膜

しばらく前に失恋して以来、やたらと朝早く目が覚めるようになってしまいました。習慣が体に染み付いてしまい、特になんともなくなった今でも毎朝ほぼ決まった時間にハッと目が覚めます。はじめの頃は目が覚めるだけでなく、目覚めると既に上半身が起き上がっていたので不気味でしたが(あと、布団から出ているので寒かった)、最近では目覚まし時計いらずで便利にしています。ちなみに、夜更かししても、海外に移動しても現地時間で同じような時刻に目覚めるので不思議です。

夜は夜でのび太並みに寝付きがよく、スイッチを切ったように眠り、朝になるとスイッチが入ったように目覚めます。便利といえば便利ですが、マンガのような奥行きのない睡眠生活で物足りない感じもします。朝、布団から出られなくてグズグズしちゃうのよねぇ…というあの甘ったるい感覚が随分遠くなりました。

マンガのよう、といえば、中学生の時に1度だけ大声で叫びながら目覚めたことがあります。(走り去るリスの名前を必死に呼んでいた。)大声の途中で目が覚めて、声のはじめの方は夢の中、終わりの方は現実だったのを喉の感覚で覚えています。

最初は簡単に大声が出せていたのに、その途中、喉のところで何か粘膜のようなものにドヨンと突き当たりました。それを声で突き破るのに力が要り、その息苦しさで目が覚めたのがはっきりわかりました。テレビコマーシャルで、柔らかい膜の中に液状の薬が入っている錠剤をみたことがありますが、ちょうどああいう感じの膜が、もうちょっと葛切りのような透明感で、厚さが3センチほどあるようなイメージ。

目が覚めて目をあけたり、半寝の状態で上半身を起こす時に粘膜の抵抗を感じたことはありません。それ以来、夢というのは「どんよりと液体の中に浸っている状態」で、夢と現の境は喉のあたりにあると思っています。
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by mag-akino | 2011-11-09 01:57

猫はかわいい

動物園に行くたび思うのは「犬と猫はとてもかわいい」ということです。猿山の小猿やレッサーパンダも見飽きないかわいさですが、帰り道にばったり散歩中の犬や野良猫に出会うと、はっとするほどのかわいらしさにショックを受けます。こんなに近くにあんなにかわいいものがいたなんて…と再確認するわけです。

よくしたりされたりする質問に「犬派?猫派?」というのがあります。私は「猫派」と言うことにしていますが、柴犬などがしっぽを振って近寄ってくると、「犬かも…」と弱気になる通り、犬も同じくらいかわいいと思います。でも、「猫派」と言い切ることはできても「犬派」と言い切らせない、なんとも言えない猫の魅力はなんなのでしょう。

なんとも言えない猫の魅力、というのをあえてなんとか言うのなら「犬に比べて顔が平らで人間みたいで不思議」なところでしょうか。猫の斜め横顔をみていると、13歳くらいの少年少女の色気を感じます。

神楽坂のおまんじゅう屋さんで、床に猫が寝そべっているのに気付かずにズンズン歩いたら、思い切り踏んでしまいました。「猫ふんじゃった」という歌がありますが、実際踏んだら「ギャッ!」と言ってました。

親戚の家の黒猫は小さい時に寂しい思いをしたせいか、うれしい時にも鳴かないそうです。家族の隙をついて家具の隙間に入るのが好きで、ある日開けた引き出しの奥に潜んでいるのに気付かずに、祖母が閉めようとしたら、ついに「ニャー」と言ったそうです。

先日2年ぶりにその猫に会った時、みんなが油断した隙に今度は仏間のタンスの隙間に入ってしまいました。無理矢理追い出したら小声で「ニャー」と言いました。私が声をきいたのはこれが初めてです。

適当に思い出したことを書いたら声の話ばかりになりました。私は猫の声が好きなのかもしれません。
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by mag-akino | 2011-10-29 16:05

猿とみかんの皮

先日、日本の実家からギャラリーに搬入に向かう朝のこと。道端に5㎝くらいのお猿さんが落ちていました。ぬいぐるみではなく、本当に日本猿のようなお猿さんなのですが、まさかそんなに小さいお猿さんが落ちているわけはないので、とっさに「どうせみかんの皮かなにかだろう」と思ってよくよくみたら、コウモリでした。

道端に落ちているコウモリを見るのは二度目だったし、急いでいたこともあり、足を止めずに通りすぎたものの、その日は電車の中でお猿さんのこと(コウモリではなく)を考えていました(その日は偶然かばんの中に、色川武大さんの「ぼくの猿 ぼくの猫」が入っていたからかもしれません)。そして自分が内心「猿とみかんの皮は似ている」と思っていることに気づきました。

どうも子供のころから果物があまり好きではありません。食べるとおいしいと思うので味のせいではないのですが、なんとなく生々しくて気持ち悪いなぁと思っていました。「生々しいってどういう意味?」ときかれると「なんだか生ゴミっぽいというか、ほら、食べられる実と皮の境があいまいで、そこが果汁でグズグズだし…」としどろもどろ説明していましたが、どうやら「果物は死んだ動物っぽい」と思っていたようです。

詩人の萩原朔太郎は精神的に衰弱した時、植物と交わる夢をみたそうです。それは萩原朔太郎に限ったことではなく、人は弱ると植物と交わる幻覚をみることがあるらしい、というのを何かの本でむか〜し読んだ、という程度の浅い知識で知っていますが、そんなこともある、と想像するだけでワクワクします。何かの拍子に動物と植物の境界を精神的に突破してしまうことがありえるとすると、意外とその境界は薄くて曖昧で、慣れるといつでもスイスイ行き来できるのかもしれません。そういうところがまた果物自体の形態と似ているように思えて、やっぱり果物はなんだか気持ち悪いです。もしかしたら、そこらの店先のみかんは、突破した誰かとみかんの花の子供だったりして…などと想像すると背筋が凍る気持ちの悪さ。

アニメーション「KiyaKiya」では、小さい赤い色をした子供と青い色をした子供が果物に変身するシーンがあります。このイメージも「動物と植物の境界を突破するワクワク」から来ているんだな、と改めて気がつきました。
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by mag-akino | 2011-10-15 08:35


アーティスト近藤聡乃ニューヨーク滞在制作記


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近藤聡乃 / KONDOH Akino

2012年5月までの文章が本になりました。

不思議というには地味な話』(ナナロク社)

57編、すべてに描き下ろし挿画つき。26ぺージの描き下ろし漫画「もともこもみもふたも」も収録。



2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、2002年アニメーション「電車かもしれない」で知久寿焼(音楽グループ、元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品で NHKデジタルスタジアム、アニメーション部門年間グランプリを獲得。シャープペンを使って繊細なタッチで描くドローイングに加え、最近 では油彩にも着手している。2008年、2冊目のマンガ単行本「いつものはなし」(青林 工藝舎)を出版。

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