<   2012年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

1度しか使ったことのないおまじない

1年程前に、よく効くおまじないの話を書いたが(http://akinomag.exblog.jp/15763821/)、もう一つの効果てき面だったおまじないについて。

私がはじめて金縛りを体験したのは中学1年の時である。夜中ふと目が覚めたら、体が動かなかった。「これが、あの、金縛りか!」と思い、「もし目を開けたら何かおかしなものを見てしまうかもしれない」と判断し、目をしっかり閉じたまま助けを呼ぼうとしたら、声がでなかった。結局、しばらくジタバタしたら足の方から動きはじめたのだが、とにかく怖かった。翌朝学校で後ろの席のSさんに話したところ、彼女が教えてくれたのが、「お姉ちゃんからきいた」という金縛りを解くおまじないである。

金縛りにあったら、下唇を噛み締めて、頭の中に「大」と思い浮かべる。

意味がさっぱりわからないところが魅力的で、次の機会には絶対に試してみたいと思った。そして数ヶ月後、二度目の金縛りにあった。

下唇を噛み締めて、頭の中に文字を思い浮かべて「大!」と念じた瞬間、異変が起こった。噛み締めた下唇が細かく震えはじめ、どんどん震えが大きく広がっていき、顎の痙攣で歯がガチガチと音を立て、顔の皮膚全体が大きく波打って、信じられないほどの高速でマブタが開閉した。

それ以来このおまじないは1度も試していない。恐怖を通り越して完全なパニックに陥ったが、一応金縛りは解けたのだから、効果はあったのだと思う。

先日、アメリカ人の友人と話していたら、ふと、このことを思い出した。「金縛り」という単語を知らないので、「体がまるで金属で縛られたようになり動けない」と直訳して説明したら、ようやく伝わり、友人は金縛りの状態を「フローズン(凍った)」と表現した。よくよく考えるとあの感じは「金属で縛られた」でも「フローズン」でもない気がする。「体の中心に強力な磁石があって手足がくっついて離れない」という感じだな、などと考えていたら、「大」について話し忘れてしまった。肝心なことはなかなか海を越えないものである。
b0221185_042634.jpg

[PR]
by mag-akino | 2012-07-31 00:46

五七五でメガネ

友人のメガネが素敵だな、と随分前から思っていたのだ。彼女と知り合ったのは3年ほど前で、はじめて会った時にも「いいな」と思った記憶があるので、もう3年もそう思っていることになる。

先日、彼女を友人に紹介したら、友人は即座に「そのメガネいいね」と褒めて、「私もずっとそう思っていた」と言ったのだが、なんだかそれ以来、気になっている。

そのメガネは、鼻梁から耳まで一息にツルが伸びていて、レンズがさりげなくその間にくっついている。その様子が朝顔の花とツルのように清楚で美しくて、彼女にとてもよく似合っている。眼が悪くなったらこのメガネがいいな、と推定視力1.2の眼でずっとそう思っていたのだ。

友人に先に言われてしまい、「言っておけば良かった」と残念になり、3年間もそう思っていたのに1度もそう言わなかったことに、やっと気がついた。こんな少女マンガの三角関係みたいな感情がメガネを中心に巻き起こるなんて。

3年の間、私の中に潜伏していた「あのメガネいいな」という気持ちが、口に出す程の気持ちではなかった、とは思えない。普段適当に口にしているいろいろな気持ちより、かなりはっきりした感情だったのに、なぜ言葉にはしなかったのだろうか。

小説などを読んで、「こういうことがずっと言いたかったのだ」と思うことがある。私だってそんなことはとっくの昔から知っていたのに、と残念になるのだが、実際には具体的に言葉にできるほど「知って」はいなかったのだと思う。私の「あのメガネいいな」という気持ちも、自分で思うほどはっきりとはしていなくて、なぜいいと思うのか、どういうところが素敵なのか、が具体的には言葉になっていなかったのかもしれない。そういえば先に「朝顔のよう」などと書いたが、本当はどうもうまく言えていない気がしていたのだ。確かにツルの部分が朝顔のようで素敵なのだが、もうちょっと簡潔にピタリとあの様子を表現する言葉あるはずだ。



閑さや岩にしみ入る蝉の声



こんな感じにあの感じを言い表してみたいのだ。



b0221185_2512112.jpg

[PR]
by mag-akino | 2012-07-24 02:51

脳内の大阪

先日帰国した際に、大阪でトークイベントをした。会場はスタンダードブックストアさんという喫茶&イベントスペースもある個性的な本屋さんで、私が到着した時には、アニメーションとスライド上映のための準備が整い、あとは私が最終チェックをするだけ、という万全の体勢で暖かく迎えてくださった。

そんな訳で、不慣れなトークも無事終えることができた。これは本当に大阪の素晴らしい本屋さんのお陰だなと感激し、トークの合間にも「はじめて大阪に来て良かった」、「はじめて大阪に来た甲斐があった」などと繰り返し語ったように思う。トーク終了後には、お客さんが丁寧に感想を伝えてくださるなど最後まで暖かく、「また大阪に来ますね!」と名残惜しく心斎橋を後にした。

その後、出版社の方について三ノ宮のトリトンカフェに向かった。そして、駅に着き、横断歩道で外国人男性とすれ違った瞬間、突然あることを思い出し、背筋が凍りついた。私が大阪に来たのははじめてではなく、二度目だったのである。

あんなに「はじめての大阪」というフレーズを口走ったのに(しかも、子供の頃に行ったのではなく、6年程前のしっかり成人していた時の話である。)、と情けなくなったが本当に忘れていたのだから仕方ない。そういえば奈良より西日本には行ったことがない、とも言った気がするが、出雲大社と福岡にも行ったことがあるのを、追い打ちをかけるように指摘され、本当にもう嫌になった。

これは忘れっぽいというより脳内の方向感覚の問題ではないかと思う。実際に体感する方向感覚のように、脳内にも方向感覚があるのだ。たとえば、普段は東京で仕事をしていて、大阪に出張して○○した、という場合。脳内地図で、東京より西の大阪に旗をたて、「ここで○○した」と覚えておけば、「大阪」が記憶から抜け落ちることはないのである。私のような脳内方向音痴は「大阪」を位置ではなく、ただの「おーさか」という言葉で覚えようとするから「○○の記憶」だけが脳内で居所を失って宙ブラリンになってしまうのだ。私の脳内の大阪は頭のどこら辺に漠然と存在しているのだろうか。

そういえばニューヨークに4年近く住んでいるが、今だに生まれ育った千葉県感覚が抜けないのは脳内方向音痴のせいかもしれない。脳内世界地図のニューヨークにきちんと旗がたっていないのだ。というか私の脳内には地図がないのかもしれない。いや、そもそも「地図」という視覚的なもので方向を把握しようとするのがダメなのかもしれない。

どうも頭の中で、方向や時間軸とは関係なく、記憶がゴチャゴチャに浮遊しているような気がする。文章を書いていると、連想ゲームのようにいろいろなことを思い出すが、それが「いつ」「どこで」から連想されているのではないようなのだ。なんだか別の軸があって、それに沿って記憶を次々と思い出しているような感じがするのだが、その軸が何なのだかはよくわからない。外国人男性と大阪の関係性とは一体?

脳内で迷子になりそう、というと素敵な響きだが、端からみれば単なる物忘れである。大阪の件に関しては「ただの嘘つき」なので、今後は気をつけたい。しかし、どうやって気をつけたらいいのか全然わからない。
b0221185_5552299.jpg

[PR]
by mag-akino | 2012-07-10 05:58

餅つきと機関銃

ブログで文章を書きはじめた頃、「そんなに書いてしまったらマンガのネタが減りそうで勿体ない」とよく言われた。そう言われてみるとそうなのかもしれないと思ったが、そんなに大したことではない気がしたので、構わずどんどん書いた。

どんどん書いたら本になることになって驚いた。ちょうど描きたいマンガがあったので、それも描き下ろして巻末に収録することにした。久しぶりにマンガを描いてみて、やはり文章とマンガは大分違うものだと感じている。

たとえば、同じトピックで両方をかくことはできるのだが、文章では「なぜそう思うに至ったのか」をグダグダ説明してみたいし、マンガでは「そう思ったせいか、なぜかこうなった、こう思ったこと」を描いてみようと思う。

絵というのは「なんだかそうなんだよね〜」という部分を説明するのに向いているのだと思う。「なんだかそうなんだよね〜」と無軌道にゆるくなりがちなところを、文章が軌道に戻すようで、絵と言葉を両方使うマンガという形式が私には描きやすい。絵と言葉を両方使うというと絵本や紙芝居などもそうだが、ちょっと配分が違うだけで突然どうやって描いたらいいかわからなくなるのが不思議だ。先日、他のマンガ家さんにそう言ったら「本当にそう思う」と同意していたので、配分というのはやっぱり重要らしい。

ちなみに、この配分のことを考えると、頭の中に餅つきの映像が浮かんでくる。杵で餅をつくのが絵で、言葉はその合間の手水のような感じ。

ついでに、文章を書いていると思い出すのが、たしか(たぶん)吉行淳之介のエッセイか何かに書いてあった「読点を機関銃の打つ」というフレーズである。健康な人ほど文章を長くグダグダ続ける傾向があり、機関銃のように読点を打つ、という話。私もグダグダ続けて、機関銃のように読点を打ってみたいものだと思った。

そんな訳で、餅つきしたり機関銃を撃ったりしながらマンガや文章をかいている。
b0221185_503089.jpg

[PR]
by mag-akino | 2012-07-01 05:00


アーティスト近藤聡乃ニューヨーク滞在制作記


by mag-akino

プロフィールを見る
画像一覧

近藤聡乃 / KONDOH Akino

2012年5月までの文章が本になりました。

不思議というには地味な話』(ナナロク社)

57編、すべてに描き下ろし挿画つき。26ぺージの描き下ろし漫画「もともこもみもふたも」も収録。



2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、2002年アニメーション「電車かもしれない」で知久寿焼(音楽グループ、元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品で NHKデジタルスタジアム、アニメーション部門年間グランプリを獲得。シャープペンを使って繊細なタッチで描くドローイングに加え、最近 では油彩にも着手している。2008年、2冊目のマンガ単行本「いつものはなし」(青林 工藝舎)を出版。

以前の記事

2017年 03月
2016年 11月
2015年 07月
2014年 12月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 03月
2014年 02月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月

フォロー中のブログ

検索

カテゴリ

全体
未分類

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧