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何を考えているのかわからないTさん

ずいぶん以前の知り合いにTさんという人がいた。あまり親しくなかったのだが、私はこの人がなんだか気になっていた。気になっていたのは、「こわい」と思っていたからである。Tさんが何を考えているのかサッパリわからなかったからだ。

人と会話をすると、その人が発言していることとは別に、その人の本心というのが表情や言葉遣いからなんとなく透けてみえるものである。それで、本当はそう思っているのに、そう言わないなんていい人だなとか悪い人だなとか感じつつ、相手を知っていくのが通常だと思う。しかし、Tさんの場合、表情からは何を考えているのかが全く伺えなかった。それでも、なんとなくこうかな、と会話を続けると、全然違う反応をしたり、全くその通りのことを言ったりと、その時々なので、いつまでたってもTさんの人柄がつかめなかった。それで「この人こわい」と思うようになったのである。

そんなTさんが、突然こわくなくなった。ある日、いつものようにTさんがサッパリわからなかったので、仲の良かったMさんに「Tさんが何を考えているのかサッパリわからない」ともらした時のこと、Mさんは間髪を入れず「Tさんは何にも考えてないよ」と答えたのである。

そう言われてみると、何を考えているのかわからない無表情はただぼんやりしているだけにもみえるし、予測不可能な言動の数々もその場その場で適当に対処しているのだとすると納得がいく。私自身、「何を考えているかわからない」と言われる時は大抵何も考えていないから、Mさんの意見は当たっている気がした。要するに、私はTさんを畏れていたのだが、MさんはTさんをアホだと思っていた、ということである。それ以来、Tさんがこわくなくなった。

一応、「何も考えていない」ということで腑に落ちたのだが、Tさんとはそれ以降も仲良くはならなかった。今考えてみると、私は特に理由もなく言葉にするほどでもなくTさんが嫌いだったのだと思う。そして、たぶんTさんも同じように私が嫌いで、お互いにいい加減に会話していただけではないか。気が合わないもの同士、「この人何考えているかわからなくて不愉快」と感じ、「この人アホかも」で片付けていたのである。

Tさんが本当に何も考えていなかったのか、私のことを嫌いだったのか、私はアホなのかそうでないのかはわからないが、わからない、という状態はこわいことである、という話である。
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by mag-akino | 2012-10-26 08:42

17年間使っているエプロン

ここのところエプロンをつけて制作している。アニメーション、ドローイング、マンガはたいして汚れないのだが、最近は知らないうちに何かと汚れる油絵の具を使っているのでエプロンが必要になったのだ。それで約2年半ぶりに作業用エプロンを引っ張りだしたのが、私はこれを17年間使っている。

このエプロンを使いはじめたのは高校1年の春、お茶の水美術学院で木炭デッサンを習いはじめた時だった。お茶の水美術学院(通称オチャビ)は美大受験のための予備校なので、高校1年から通うのは早すぎるのだが、春期講習で入ってみた初心者クラスは、受験対策ではなく「本格的な図工」という感じでおもしろかったのでそのまま通うことにしたのだ。木炭デッサンも何かと汚れるので、水色地に白の水玉模様のエプロンをつけることにした。

思えば捨て時はいくつかあった。最大の捨て時は、木炭デッサンの消しゴム用の食パンをポケットに入れたままオチャビに置いて帰ったらネズミに齧られて大穴があいた時であったと思う。そこで捨てればよかったのだが、なぜか、似たような布(水色地に白のハート模様)をみつけてミシンで丁寧につぎをあててしまった。それからいろいろな画材で少しずつ汚れて、洗濯をくりかえし、水玉模様がわからないくらい色あせてしまったが、今でもニューヨークで傍らにある。特に気に入っている訳ではない。ネズミ穴のインパクトを超える被害がないので、「捨てよう」と思わなかっただけである。

そして、このエプロンを見ると思い出すのが、アーティストの鴻池朋子さんである。大学を卒業したばかりの頃、私は紙をパネルに水張りして絵を描いていたのだが、ある日、ミヅマアートギャラリーの三潴さんが「支持体を変えた方がいい。ジェッソを使って下地を作る方法を鴻池に習ってこい」と仰った。そしてそのまますんなり話が通って、「口で説明するより、やってみた方が早い。一日アシスタントとして来て下さい」ということになった。鴻池朋子さんのことは美術手帖などで知っていたし、そもそも鴻池さんがミヅマアートギャラリー所属だったために、「このギャラリーはアニメーションも扱ってくれるのか」と思い、大学3年の終わりに「電車かもしれない」というアニメーションのビデオテープとポートフォリオを持って、ギャラリーを尋ねていったのである。大体、作家さんが技法を教えてくださる、というだけでも大変なことである。「これは失礼があってはならない」と、山寺に修行に入る子坊主の様に緊張し、使い慣れたエプロンを携えてスタジオにお邪魔した。(なんとなく、夜中にコッソリ和尚さんの水飴をなめる一休さんを思い浮かべていた。)

はじめてお会いする鴻池さんは、とてもきれいでキサクな方だった。お茶を飲みつつ作品をみたりみせたりした後、「では、下地にやすりをかけてみましょう」ということになった。エプロンを(虎の屏風の前でたすきがけする一休さんを思い浮かべつつ)つけたところ、鴻池さんがジッとエプロンをみつめていたので、「このエプロンは15の時から〜、ネズミ、穴、つぎ」などと説明した。

鴻池さんは、「近藤はこのエプロンが大好きでものすごく大事にしている」と誤解されたようで、「あなたの弱点はこのエプロンに違いない。何か悪いことをしたらこのエプロンを取り上げて懲らしめてやる。そしたらあなた、泣くでしょう」的なことを仰った。取られたところで痛くも痒くもないな、と思ったのだが、なんとなくエヘヘと笑っておいた。一休さんなら何かトンチの利いたことを言うところである。

しかし、この鴻池さんの言葉のせいで、捨てにくくなったのは事実である。特に気に入ってはいない、ただ捨てる機会がないから捨てないだけだったのに、なんだか捨てにくくもなった。同じくなんだか新調できずに困っているのがヤカンである。私は「赤いヤカンを使う」ことに憧れがあり、ニューヨークで一人暮らしを始めた時、「ついに赤いヤカンを買う時が来たか!」とドキドキしたら、ベルリンに移住した作家さんのヤカンが私のところにまわりまわってきて、うっかり貰ってしまった。ヤカンというのは一つで足りるし、そうとう乱暴に扱わないと破壊できないので、もしかしてこのヤカンで一生終わるかもしれないと思ってゾッとすることがある。

エプロンとヤカンで懲りたので、物は情がわかないうちにサッと捨てることにしている。旅先でついもらってしまったチラシとか、飛行機の半券とか、家に持ち込んだら思い出がしみ込んでしまうので、空港のゴミ箱に素早く捨てるのである。これは人でも同じである。「こいつと関わるとろくなことはない」と思ったら、思った瞬間に門前払いしないと、結局「まあ、いいところだって探せばあるし」とやさしい気分になってしまって、そうなったら縁を切るのは至難の業である。

このエプロンに関しては、捨て時は全て逃してしまったし、たいして情はわいてないのに「捨てたくない」と思っている。たぶん、「どんどんつぎをあてていったら、いつの間にかオリジナルの布が消滅した」という方法でしか、私の元からなくなることはないと思う。腐れ縁である。
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by mag-akino | 2012-10-17 12:00

寝つけない夜の暇つぶし

寝つきが良い私にもごくたまに寝つけないことがある。そんな時にやる暇つぶしに、「目を閉じて、頭と足の位置を逆に寝ていると思い込む」というのがある。要は、いつも寝ている布団を上下逆にしてそこに寝ている自分をイメージする、ということなのだが、意外と難しくて意外と簡単。集中すると30秒ぐらいでできる。

ニューヨークの今のアパートに住んで約3年。28年間住んだ日本の実家では、記憶にある限りほぼ同じ位置に寝ていた。そのせいか、「ニューヨークの現在のベッドで上下逆」をイメージするより、「実家で上下逆」をイメージする方が簡単であった。さらに、「ニューヨークのベッドの中で、実家の布団に寝ている自分」も試してみると、「ニューヨークで上下逆」よりむしろ簡単である。実家に寝ていた年月の方が長く、部屋の雰囲気や天井の感じをより理解しているからだと思うが、その場で上下逆になるよりも、距離も時間も越えた布団の中にもぐり込む方が簡単、というのがなんだか不思議である。やってみたことはないが、「ニューヨークのベッドの中で、実家の布団に上下逆に寝ている自分」というのも案外簡単なのかもしれない。

ところで、この暇つぶしを思いついたのは、大学1年の時であった。よい暇つぶしと思ったので、次の日に友達に自慢したところ、彼女は「上下逆どころかグルグル回転もできる」と言っていた。

眠れない夜に彼女のことを思い出して、「上下逆」の後に「そのままグルグル回る」というのも試してみるのだが私にはどうしてもできない。そもそも寝つきがよいので、「上下逆」をやる機会もあまりないのだ。たぶん彼女は日頃から寝つきが悪く、日常的に逆になったりグルグル回るイメージをする機会があったのではないかと思う。そういえば、グルグルの話をきいた時の大学の学食の感じや、彼女の様子を頭では思い出せるのだが、「体ごとその場にいるイメージをする」のはやはりできない。普段から寝ているベッドの中で上下逆になるのが私の体の限界である。イメージに体をついていかせるのは難しい。

体ごとは無理かもしれないけどイメージだけテレポーテーションしたり(ニューヨークにいながら、実家の布団にもぐり込む)、タイムトリップをする(子供の頃の布団にもぐり込む)のは意外と簡単なのかもしれない、などと上下逆になったついでに考えてみるが、どうしてもすぐ眠くなってしまう。
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by mag-akino | 2012-10-15 07:53

呪いの電話

携帯電話を持ち慣れてしまうと、公衆電話を探す必要がなくなるので、どのあたりに公衆電話があるか咄嗟に思い出せない。たしかニューヨークの駅には公衆電話があった気がするが、実際に使いこなせるか不安である。ニューヨークで公衆電話を使ったのは2回くらいしかないのだ。

私が子供の頃は、誰も携帯電話なんて持っていなかったので、近所のどこに公衆電話があるか把握していた。子供だった私が、ほとんど公衆電話をかける機会もなかったのに場所を把握していたのは、子供の私にとって、電話は特別なものだったからだと思う。

携帯電話が普及し始めてから、公衆電話はどんどん減って、実家近くの電話もだいぶ撤去されてしまった。もう電話があった場所はほとんど忘れてしまったが、今でも一つだけ印象深く覚えているのは、家と駅と間の高架下にあった緑の公衆電話である。子供の頃、この電話で、泣きながらで話している女性を目撃したのだ。大人の女性がシクシク泣きながら電話で話している姿、というのは子供の私には衝撃的で、それ以来この電話の前を通る時、誰か話している人がいたら、なんとなく耳をすませるようになった。

その後、この電話で、誰かとケンカして大声で怒鳴っている男性も目撃した。顔みしりの近所の女性が声を殺して誰かと揉めているのも聞いた。駅に近いせいか利用者も多かったが、なぜか不穏な会話を感じることが多かったので、心の中でいつの間にか「呪いの電話」と呼ぶようになっていた。そして、高校生の頃だったと思うが、なんだか「我慢も限界」という気分になって、私自身もその電話で怒りと不満を鬱々と伝えたことがある。「ついに私まで電話の餌食に…」と悔しい気持ちで受話器をとったのだが、どうしても手をとめられなかった。

「呪いの電話」と簡単に呼んではいたが、今考えると、電話というよりあの付近一帯が良くないのだと思う。高架下で薄暗く、騒がしく、なんだかいつもジメジメしている。風水やパワースポットなどは全然知らないが、あのあたりは、「良くない」と思う。長年同じところに住んでいる人なら知っている、なぜか頻繁にお店が入れ替わる場所、というのがあるが、ああいう感じである。なぜかはよくわからないが、何かが確実に「良くない」というのを近所の皆が知っているのになんとなく黙っているのである。

あの付近は「悪い」というより、「嫌な気持ちを増幅させる土地柄である」、というのが20年ほど耳をそばだてた観察者としての私見である。あの付近を歩いているうちに、嫌な気持ちがムラムラと高まってきて、あの電話を目にした途端、「今こそ伝えなければ!」と突発的に電話してしまうのだ。

ただ、私の怒りの電話の件は、土地に呪われたというより、長年に渡って人の会話を盗み聞きした罰のような気もする。この公衆電話も、しばらく前に撤去されてしまいもうない。
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by mag-akino | 2012-10-03 12:18


アーティスト近藤聡乃ニューヨーク滞在制作記


by mag-akino

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近藤聡乃 / KONDOH Akino

2012年5月までの文章が本になりました。

不思議というには地味な話』(ナナロク社)

57編、すべてに描き下ろし挿画つき。26ぺージの描き下ろし漫画「もともこもみもふたも」も収録。



2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、2002年アニメーション「電車かもしれない」で知久寿焼(音楽グループ、元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品で NHKデジタルスタジアム、アニメーション部門年間グランプリを獲得。シャープペンを使って繊細なタッチで描くドローイングに加え、最近 では油彩にも着手している。2008年、2冊目のマンガ単行本「いつものはなし」(青林 工藝舎)を出版。

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