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性格が自乗で増えていく

両親をみていると、「私と似てる」と感じます。(実際には私が両親に似ているんだけど。)容貌のことではなくて性格が、父をみても、母をみても「…これはたしかに血が繋がっている」と感じます。

長所が遺伝しているのは良いことですが、短所もそっくり遺伝しているように思うので、そうなると単純に考えて、私1人で2人分の短所を併せ持っていることになります。いや、1人の中にそんなに短所は入り切らない、それでは私の性格は父母それぞれの2倍あることになってしまう、そんなはずない、けど、たしかに欠点は2倍くらいありそうな…と、そこまで考えて、いや、そもそも「性格に容量はあるのか?」と、「性格の容量」が気になってきました。

父方の祖父母をみるとどちらも父とよく似ているように思うし、母方の祖父母も母に似ていると感じます。ということは父母がそれぞれ2倍ずつ、つまり私は祖父母の4倍の性格がある、ということになります。以前手相占いで、あまりにのっぺりとした私の手相(鉛筆で線を4本ひいただけにみえる)をみて「単純で深みがない性格」とみた印象のままの診断をされたことがありますが、その私の4分の1の性格しかない祖父母って一体?と頭がクラクラしてきます。このクラクラ感は、「宇宙はどこまであるんだろう?」とか「9次元ってどういうこと?」と考えた時の感じと似ています。真面目に考えているうちに、いつの間にか眠ってた、というやつです。

寝ていても仕方ないので私が仮に出した答えは、「性格の容量は無制限だけど、ほとんどの部分は忘れていて、一人一人は同じくらいの性格の量で過ごしている」というものです。つまり、「私は実際に祖父母の4倍の性格を持っているけど、1人分以外の性格を忘れている」、「先祖代々性格が倍の倍の倍にどんどん自乗で増えていくけど、そのうちの1人分しか覚えていない」ということです。そう考えるととてつもない忘却の歴史です。そして、これは「記憶の容量」でも同じことではないかと思います。

仮の答えを出すと、それがそのまま結論になりがちなので要注意です。と、いうかこんなことを考えるより先に、両親の2倍あると思われる欠点を直す方法でも考えた方がいい気もします。今年こそがんばります。
性格が自乗で増えていく_b0221185_3494245.jpg

# by mag-akino | 2012-01-02 03:54

上野と日光で立ち尽くす

メトロポリタン美術館やMOMAで、「子供の頃から知っている有名な作品」に出会うと、いちいち新鮮に感動します。意外と小さいんだなぁとか、地味だと思っていたのにすごい存在感があるなぁ、とか本物を観ると改めて気づくことがいろいろあります。4方の壁全部にそういうものばかりが並んでいると息苦しくなるほどですが、「衝撃をうけて立ち尽くす」という経験は今までに2度しかしたことがありません。

1度目は幼稚園生の頃、両親に連れて行かれた美術館(たぶん上野の西洋美術館)でキリストの磔の絵を観た時のことでした。この絵は有名な画家の有名な作品ではなかったのですが、「人間が手足を釘で板に打ち付けられる」というエピソード自体をそこで初めて知りました。こういう怖いものがあって、それを大人が囲んで眺めていて、今日は私も観ていいんだ!とドキドキして眺めていたら、いつの間にか両親の姿がみえなくなっていました。

2度目は修学旅行で日光に行った時です。ガイドさんに引き連れられて、いろいろ観てまわった他のものは特に覚えていませんが、「眠り猫」は忘れられません。すごい小さい!かわいい!小さい!かわいい!とじっと観上げていたら、またいつの間にか、よその小学校の生徒に囲まれていました。

どちらもそれ以来観ていませんが、もう1度観たいかというと複雑です。と、いうのも、これも子供の頃に美術館で観て好きになった絵と、2008年にBunkamuraで再会した時のことです。大人になって直に観てみると、色が浅く、タッチも雑で、縮小して印刷されたものより大分乱暴な印象を受けました。記憶に残っているしっとりとした印象とは全然違ったので、「観なければ良かった」とがっかりしました。今でもこの絵が好きで、影響も受け続けると思いますが、それは子供の時に観たあの絵に対する気持ちです。

絵だけではなく音楽でも、聴いた時の気持ちや場所にピッタリとあって、異常なほど心に響くことがあります。それでもう1度続けて聴くともう全然ダメになっていることもあるので、タイミングも大切なのだと思います。それにしても「立ち尽くす」ほどの衝撃を受けることは稀なので、やはりこの二つは特別な作品です。一度目のキリストの絵は既にどの絵かわからないので安心ですが、眠り猫はどこにあるのかもわかっているので気になります。福島で事故が起きた時も、東照宮は割と近いよなぁとボンヤリ思いました。
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# by mag-akino | 2011-12-28 07:37

たぶんウソの話

「空き地に犬のしっぽが落ちていた」

「歯医者で、隣りで治療していた患者の舌の裏の細い糸のようなものが切れて、舌がクルクルと奥に巻き上がっていった」

「転んで田んぼの中に顔からつっこんだ拍子にオタマジャクシを飲み込んだ」

「ザリガニにザクロをやってみたら、種を残してきれいに食べた」

「2階の窓から校庭の池の鯉を釣った」

「ブランコを速くこいだら一回転した」

「命日にお参りしなかったら、何者かに髪の毛をつかまれて部屋中引き回された」


「子供のウソ」について考えていたら、子供の時にきいた「たぶんウソの話」をいくつか思い出したので書いてみました。当時は半信半疑でしたが、今考えてみるとたぶんウソだと思います。私は誰から聞いた話かしつこく覚えていますが、本人は覚えているでしょうか。ちなみに一つは私の体験談でウソではありません。
たぶんウソの話_b0221185_1295886.jpg

# by mag-akino | 2011-12-24 12:15

突拍子もないウソ

思い返してみると、子供の頃は学年に1人くらいはウソをつく子がいました。誰もがつくようなちょっとしたウソではなくて、もっと突拍子もないウソです。どう考えても現実的にありえないウソとか、一瞬でばれるウソとか、大人は絶対につかないようなやつです。

私が小学生の頃は1学年150人くらいでした。と、いうことは単純に考えると、今の知り合いの150人に1人は、元ウソつきだったと考えられますが、「子供の頃ウソつきだったよ」というのは1度もきいたことがありません。たぶん、自分からわざわざ人に言いたいことではないからだと思います。

ただ、そういう告白をされる機会があったら「どうしてあんなウソをついていたのか?」ときいてみたいです。みんなの気をひきたかったからとか、寂しかったからとか、簡単に思いつくような理由ではなくて、もっと突拍子もない理由を期待しています。
突拍子もないウソ_b0221185_73573.jpg

# by mag-akino | 2011-12-20 07:36

真間川の豆腐

小学生の時に同級生が「真間川を豆腐が流れているのをみた」と言いました。真間川というのは実家の近所を流れている汚い川です。今でも汚いですが、子供の頃はもっと汚くて臭い川でした。その黒い水の中を白い豆腐がソヨソヨ流れている様子を想像するとあまりにも可哀想です。この一言の衝撃が大きく、頭の中が「真間川の豆腐」で一杯になったせいか、その他の情報は全くなしです。忘れてしまったのか、それ以上きかなかったのかも不明です。もしかしたら豆腐はパックのまま流れていたのかもしれません。さらにもしかしたら、この話自体ウソだったかもしれません。

大学生の時、総武線の窓から下を眺めていたら、市川と小岩の間の江戸川で水死体をみてしまいました。既に川辺に引き上げられていて、警官らしき人が2人と発見者と思われる人が2人、死体の横でボ〜ッとしていました。死体を前にすると人は所在なげにボンヤリするらしい、というのは、飛び降り死体を見た時にも感じたことです。救急車が来るまでの間、特にやることがないのでみんなで黙り込んでボンヤリするのです。朝の電車で思いがけず死体を目撃した私は気持ちを持て余してしまい、思わず隣りに立っていたサラリーマンに「みました?」と話しかけたら、完全に無視されました。あの人も絶対にみていたはずです。

水死体の方は遠目だったので細部はわかりませんでしたが、どちらもうつぶせの女性だったので、飛び降りた女性がそのままの服装で川辺に寝ている姿で思い出されます。さらにこの画像と「真間川の豆腐」がまざってしまい、女性が真間川を流れていくイメージが、やけに具体的です。豆腐のようにつややかな女の白いふくらはぎ。

「真間川を豆腐が流れているのをみた」というのが、全くのウソだったのかも…と考えると心底ガッカリです。でも実際のところ、ウソか本当かはどちらでも良いのだと思います。
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# by mag-akino | 2011-12-15 23:19


アーティスト近藤聡乃ニューヨーク滞在制作記


by mag-akino

近藤聡乃 / KONDOH Akino

2012年5月までの文章が本になりました。

不思議というには地味な話』(ナナロク社)

57編、すべてに描き下ろし挿画つき。26ぺージの描き下ろし漫画「もともこもみもふたも」も収録。



2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、2002年アニメーション「電車かもしれない」で知久寿焼(音楽グループ、元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品で NHKデジタルスタジアム、アニメーション部門年間グランプリを獲得。シャープペンを使って繊細なタッチで描くドローイングに加え、最近 では油彩にも着手している。2008年、2冊目のマンガ単行本「いつものはなし」(青林 工藝舎)を出版。

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