意外と忘れている

先日帰国した時、話の種に「何か不思議な話はないか?」と久しぶりに会った友人にきいてみました。「ない」とあっさり言うので、とりとめなく話をしつつ「本当にない?」と節々で探りを入れてみると、二時間後くらいに「…そういえば」とようやく思い出して話してくれました。

その話が、「はっとするほど不思議な話」で、びっくりしたのですが、「そんな不思議なことを忘れていたこと」にもっと驚きました。これを忘れるというなら、一体何なら忘れないのだろう…と怪しんだりしたのですが、落ち着いてよくよく考えると、とても不思議ではあるけれど、ものすごく地味な不思議だとも思えました。体験した後に、病気が治ったり、呪われたりせず、ただその一瞬にものすごく不思議だった出来事です。「とても不思議なことでも地味だと忘れる」とはじめて知りました。

朝起きた瞬間に、みていた夢を思い出そうとすると、すんなり思い出せますが、ちょっとでも間をあけてしまうと、みていたことすら忘れてしまいます。随分前に、毎朝思い出そうとする習慣があり、夢は毎日みているものだとわかったのですが(毎日、というより、たぶん眠る度にみていると思う)、いつの間にかその習慣もなくなりました。「夢を思い出せない」のではなく、「最近夢をみていない」と感じています。

何か、地味で重大なことを忘れているかもしれません。友人の「地味で不思議な話」は、何人かの人に話しておきました。みんな驚いていたけれど、もしかしたら今頃すっかり忘れているかもしれません。
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# by mag-akino | 2011-11-23 02:58

子供の頃の頭蓋骨

小学生の時に読んだ歴史学習マンガの一場面で忘れられないものがあります。

たしか竹千代が死んだとみせかける、という場面で、家来が「死んだ証拠に敵に送る」と言って、頭蓋骨を取り出します。さらに「念のため」と言って「これは竹千代様が5歳の時の頭蓋骨、こちらは3歳の時の頭蓋骨…」といって次々に頭蓋骨を取り出す、というギャグシーンでした。

これを読んだ時に、一瞬「…そういえば私の5歳の時の頭蓋骨はどこにあるのかな」と思い、すぐに「ああ、そうか、そんなものはないんだな」と気づいたのですが、なんだかギクリとして忘れられなくなりました。

紙芝居のページに時差があると気づいた時、この頭蓋骨の話を思い出しました。読み手が読んでいる文章は、観客がみている絵の一枚前の絵の裏に書いてあります。つまりページの表と裏に1ページ分の時差があるのですが、薄い紙の表裏にそんなズレがあるかと思うとゾッとします。しかも一枚一枚がズレることでピッタリくっついていて、最後の一枚の裏にははじまりの言葉が書かれているので、永遠にグルグルしているかと思うと何だか恐ろしいです。

どちらも「自分がズレる」ようで怖い、と思った体験です。

もう一つ、小学生の時に、童話版「西遊記」を読んだ時のこと。見開きの挿絵入りの「孫悟空が毛をむしって息をふきかけて大量の分身を出す」という場面でも、「自分がズレる」という感覚になりました。ただ、同時に「あ、ズレても大丈夫なんだ」となぜかホッとしたのですが、なぜだかはよくわかりません。
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# by mag-akino | 2011-11-18 01:15

夢の粘膜

しばらく前に失恋して以来、やたらと朝早く目が覚めるようになってしまいました。習慣が体に染み付いてしまい、特になんともなくなった今でも毎朝ほぼ決まった時間にハッと目が覚めます。はじめの頃は目が覚めるだけでなく、目覚めると既に上半身が起き上がっていたので不気味でしたが(あと、布団から出ているので寒かった)、最近では目覚まし時計いらずで便利にしています。ちなみに、夜更かししても、海外に移動しても現地時間で同じような時刻に目覚めるので不思議です。

夜は夜でのび太並みに寝付きがよく、スイッチを切ったように眠り、朝になるとスイッチが入ったように目覚めます。便利といえば便利ですが、マンガのような奥行きのない睡眠生活で物足りない感じもします。朝、布団から出られなくてグズグズしちゃうのよねぇ…というあの甘ったるい感覚が随分遠くなりました。

マンガのよう、といえば、中学生の時に1度だけ大声で叫びながら目覚めたことがあります。(走り去るリスの名前を必死に呼んでいた。)大声の途中で目が覚めて、声のはじめの方は夢の中、終わりの方は現実だったのを喉の感覚で覚えています。

最初は簡単に大声が出せていたのに、その途中、喉のところで何か粘膜のようなものにドヨンと突き当たりました。それを声で突き破るのに力が要り、その息苦しさで目が覚めたのがはっきりわかりました。テレビコマーシャルで、柔らかい膜の中に液状の薬が入っている錠剤をみたことがありますが、ちょうどああいう感じの膜が、もうちょっと葛切りのような透明感で、厚さが3センチほどあるようなイメージ。

目が覚めて目をあけたり、半寝の状態で上半身を起こす時に粘膜の抵抗を感じたことはありません。それ以来、夢というのは「どんよりと液体の中に浸っている状態」で、夢と現の境は喉のあたりにあると思っています。
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# by mag-akino | 2011-11-09 01:57

猫はかわいい

動物園に行くたび思うのは「犬と猫はとてもかわいい」ということです。猿山の小猿やレッサーパンダも見飽きないかわいさですが、帰り道にばったり散歩中の犬や野良猫に出会うと、はっとするほどのかわいらしさにショックを受けます。こんなに近くにあんなにかわいいものがいたなんて…と再確認するわけです。

よくしたりされたりする質問に「犬派?猫派?」というのがあります。私は「猫派」と言うことにしていますが、柴犬などがしっぽを振って近寄ってくると、「犬かも…」と弱気になる通り、犬も同じくらいかわいいと思います。でも、「猫派」と言い切ることはできても「犬派」と言い切らせない、なんとも言えない猫の魅力はなんなのでしょう。

なんとも言えない猫の魅力、というのをあえてなんとか言うのなら「犬に比べて顔が平らで人間みたいで不思議」なところでしょうか。猫の斜め横顔をみていると、13歳くらいの少年少女の色気を感じます。

神楽坂のおまんじゅう屋さんで、床に猫が寝そべっているのに気付かずにズンズン歩いたら、思い切り踏んでしまいました。「猫ふんじゃった」という歌がありますが、実際踏んだら「ギャッ!」と言ってました。

親戚の家の黒猫は小さい時に寂しい思いをしたせいか、うれしい時にも鳴かないそうです。家族の隙をついて家具の隙間に入るのが好きで、ある日開けた引き出しの奥に潜んでいるのに気付かずに、祖母が閉めようとしたら、ついに「ニャー」と言ったそうです。

先日2年ぶりにその猫に会った時、みんなが油断した隙に今度は仏間のタンスの隙間に入ってしまいました。無理矢理追い出したら小声で「ニャー」と言いました。私が声をきいたのはこれが初めてです。

適当に思い出したことを書いたら声の話ばかりになりました。私は猫の声が好きなのかもしれません。
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# by mag-akino | 2011-10-29 16:05

猿とみかんの皮

先日、日本の実家からギャラリーに搬入に向かう朝のこと。道端に5㎝くらいのお猿さんが落ちていました。ぬいぐるみではなく、本当に日本猿のようなお猿さんなのですが、まさかそんなに小さいお猿さんが落ちているわけはないので、とっさに「どうせみかんの皮かなにかだろう」と思ってよくよくみたら、コウモリでした。

道端に落ちているコウモリを見るのは二度目だったし、急いでいたこともあり、足を止めずに通りすぎたものの、その日は電車の中でお猿さんのこと(コウモリではなく)を考えていました(その日は偶然かばんの中に、色川武大さんの「ぼくの猿 ぼくの猫」が入っていたからかもしれません)。そして自分が内心「猿とみかんの皮は似ている」と思っていることに気づきました。

どうも子供のころから果物があまり好きではありません。食べるとおいしいと思うので味のせいではないのですが、なんとなく生々しくて気持ち悪いなぁと思っていました。「生々しいってどういう意味?」ときかれると「なんだか生ゴミっぽいというか、ほら、食べられる実と皮の境があいまいで、そこが果汁でグズグズだし…」としどろもどろ説明していましたが、どうやら「果物は死んだ動物っぽい」と思っていたようです。

詩人の萩原朔太郎は精神的に衰弱した時、植物と交わる夢をみたそうです。それは萩原朔太郎に限ったことではなく、人は弱ると植物と交わる幻覚をみることがあるらしい、というのを何かの本でむか〜し読んだ、という程度の浅い知識で知っていますが、そんなこともある、と想像するだけでワクワクします。何かの拍子に動物と植物の境界を精神的に突破してしまうことがありえるとすると、意外とその境界は薄くて曖昧で、慣れるといつでもスイスイ行き来できるのかもしれません。そういうところがまた果物自体の形態と似ているように思えて、やっぱり果物はなんだか気持ち悪いです。もしかしたら、そこらの店先のみかんは、突破した誰かとみかんの花の子供だったりして…などと想像すると背筋が凍る気持ちの悪さ。

アニメーション「KiyaKiya」では、小さい赤い色をした子供と青い色をした子供が果物に変身するシーンがあります。このイメージも「動物と植物の境界を突破するワクワク」から来ているんだな、と改めて気がつきました。
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# by mag-akino | 2011-10-15 08:35


アーティスト近藤聡乃ニューヨーク滞在制作記


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近藤聡乃 / KONDOH Akino

2012年5月までの文章が本になりました。

不思議というには地味な話』(ナナロク社)

57編、すべてに描き下ろし挿画つき。26ぺージの描き下ろし漫画「もともこもみもふたも」も収録。



2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、2002年アニメーション「電車かもしれない」で知久寿焼(音楽グループ、元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品で NHKデジタルスタジアム、アニメーション部門年間グランプリを獲得。シャープペンを使って繊細なタッチで描くドローイングに加え、最近 では油彩にも着手している。2008年、2冊目のマンガ単行本「いつものはなし」(青林 工藝舎)を出版。

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