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猿とみかんの皮

先日、日本の実家からギャラリーに搬入に向かう朝のこと。道端に5㎝くらいのお猿さんが落ちていました。ぬいぐるみではなく、本当に日本猿のようなお猿さんなのですが、まさかそんなに小さいお猿さんが落ちているわけはないので、とっさに「どうせみかんの皮かなにかだろう」と思ってよくよくみたら、コウモリでした。

道端に落ちているコウモリを見るのは二度目だったし、急いでいたこともあり、足を止めずに通りすぎたものの、その日は電車の中でお猿さんのこと(コウモリではなく)を考えていました(その日は偶然かばんの中に、色川武大さんの「ぼくの猿 ぼくの猫」が入っていたからかもしれません)。そして自分が内心「猿とみかんの皮は似ている」と思っていることに気づきました。

どうも子供のころから果物があまり好きではありません。食べるとおいしいと思うので味のせいではないのですが、なんとなく生々しくて気持ち悪いなぁと思っていました。「生々しいってどういう意味?」ときかれると「なんだか生ゴミっぽいというか、ほら、食べられる実と皮の境があいまいで、そこが果汁でグズグズだし…」としどろもどろ説明していましたが、どうやら「果物は死んだ動物っぽい」と思っていたようです。

詩人の萩原朔太郎は精神的に衰弱した時、植物と交わる夢をみたそうです。それは萩原朔太郎に限ったことではなく、人は弱ると植物と交わる幻覚をみることがあるらしい、というのを何かの本でむか〜し読んだ、という程度の浅い知識で知っていますが、そんなこともある、と想像するだけでワクワクします。何かの拍子に動物と植物の境界を精神的に突破してしまうことがありえるとすると、意外とその境界は薄くて曖昧で、慣れるといつでもスイスイ行き来できるのかもしれません。そういうところがまた果物自体の形態と似ているように思えて、やっぱり果物はなんだか気持ち悪いです。もしかしたら、そこらの店先のみかんは、突破した誰かとみかんの花の子供だったりして…などと想像すると背筋が凍る気持ちの悪さ。

アニメーション「KiyaKiya」では、小さい赤い色をした子供と青い色をした子供が果物に変身するシーンがあります。このイメージも「動物と植物の境界を突破するワクワク」から来ているんだな、と改めて気がつきました。
猿とみかんの皮_b0221185_8301618.jpg

# by mag-akino | 2011-10-15 08:35

よそのうちの中

ニューヨークの家の近所に、外から見ると植物園のような家があります。夕方通りかかると、オレンジ色の光に照らされた植物の合間に小ぶりのシャンデリアが見え、その奥で住民が部屋に不釣り合いなフラットテレビを観ている様子です。(住民の姿自体は見えたことがない。)いつかその家の住民と友達になり、一緒にテレビを観たいなと通るたびに思います。

夕方近所を散歩していると、よそのうちの中をついチラチラと見てしまいます。外観は殺風景な家の中が思いがけず素敵な内装だったりすると、「ああ、1度招かれてみたい」とドキドキします。

日本の実家近くに仕事場を持っていた時、夕方帰宅する途中に近所の家の中がよく見えました。ある日、一件の家のリビングに、小さな人形が並んだ飾り棚があることに気づきました。ぼんやりと光に照らされた棚が、ちょうど雛壇のようでとても美しく、「毎日通っているのに全く気づかなかった。あの部屋であの家の夕食を御馳走になってみたい」と胸がときめきました。でも次の日の朝、仕事場に行く途中もう1度のぞいてみたら、飾り棚ではなくただの食器棚であることがわかりました。

また別の日に、窓が開いているのを1度もみたことがない家の窓が開いていたので、ヒョイと覗いたら、古そうな老人の遺影が壁にズラリと並んでいました。「へー」と思ってさらに奥を覗いたら、7歳くらいの男の子の白黒写真の遺影と目が合いました。

知久寿焼さんの「電車かもしれない」という歌に、「台所ゴットン電車が通るよ よそのうちの中を」という詞があります。この詞が印象的なのは、よそのうちに土足であがり込んでしまうような緊張感と魅力を感じるからだと思います。夕方通りかかる一瞬に光と一緒にもれてくる「よそのうちの生活」というのは、なんだか妙に緊張感のある美しさで記憶に残ります。

今までに見た中で一番美しかったのは、総武線で通りすぎる一瞬に見えたマンションの一室の光景です。ダブルベッドの上で、はだかの子供が2人ピョンピョン飛び跳ねていました。
よそのうちの中_b0221185_1381839.jpg

# by mag-akino | 2011-10-08 13:25

カエルについて納得していないこと

私には早とちりなところがあり、よく見間違いや勘違いをします。大抵の場合は気づいた時に「ああ、またか」と思って納得するのですが、一つだけ今だに納得していない見間違いがあります。

中学生の時の話。帰り道、最寄り駅を出たところの植え込みの下に、ヒキガエルをみつけました。両手のひらにすっぼり収まるくらいのヒキガエルで、「大きいな」と思って近づいて眺めました。カエルの横に、よくそこで見かける野良猫も並んで座っていたので「カエルと猫はケンカしないんだなぁ」と思いました。次の日もカエルはそこにいて、それからしばらく毎日「ああカエルだな」と思っていたのですが、あまりにもずっとそこにいるので、もう1度近寄ってみたら、それはカエルではなくて大きな石でした。

しっかりと近くからカエルだと確認していたので驚きました。その後もその石はずっとそこにあり、通る度に気にしていたのですが、もうどうみても石でした。

この出来事を元に高校3年生の時、「女子校生活のしおり」というマンガを描きました。はじめて描いたマンガです。今でも見間違いや、勘違いが制作のきっかけになることがありますが、興味があるから、というよりは人より多く見間違いをしているからかもしれません。

さて、ではなぜこのカエルの件に納得がいっていないのか。それは、これと全く同じことが3回あったからです。3回も石をカエルと見間違えることがあるでしょうか。

宮沢賢治の「インドラの網」に『ほんのまぐれあたりでもあんまり度々になるととうとうそれがほんとになる。』という一文があります。つまらないことで引用して申し訳ないと思いながらも、「あれは見間違いではなく、カエルが石になったのだ」と半分はそう思っています。
カエルについて納得していないこと_b0221185_58566.jpg

# by mag-akino | 2011-09-14 05:09

本当かはわからないけどウソではない話

高校の時の知り合いに、おもしろい話をする人がいました。不思議な体験談をたまにきかせてもらっていたのですが、1時間以上集中してきいてしまうくらい話のうまい人でもありました。

特に印象的で忘れられないのが「幽体離脱して三途の川を見た話」です。大雑把に要約すると、コタツでうたた寝してたら幽体離脱して三途の川のほとりについて川の向こうで着物の若い女性が叫んでいて、意識が戻って母親によくよくきいたら若くして亡くなった大叔母がいて、しばらくしてタンスの奥にその女性が着ていたのと同じ着物を発見した、という話。

体験談としてはよく聞く話なので、私も見たことはなくても「私なりの三途の川のイメージ」を持っています。たぶん私が何かで死にかけたら夢うつつにその三途の川を見るのではないかと思います。タンスの着物の件も不思議ですが平凡な結末で、「まあ偶然だろう」という内容です。

ただ、この人の話が他と違うのは、話の細部がとても具体的で新鮮だったところです。大枠だけだったら「夢と偶然」ですが、細部のオリジナリティをふまえると、「…本当のことかはわからないけど、とりあえずこの人にとってウソではないな」と思いました。

特に魅力的に感じたデイテール。
・ 幽体離脱したら、天井の隅にいつの間にか穴が空いていてすいこまれた。中はびっしりと水晶が生えた空洞で、とても心地良い音楽が流れていた。そこをゆっくり回転しながら上昇しつつ、「モーツァルトはこの音楽を楽譜に書き留めたのだ!」と確信した。
・狐が高速で回転して、よくお寺などにあるタマネギ型のやつになった。

水晶がびっしり生えた空洞や、高速回転する狐のことを思うと、なんともいえず魅力的で「是非本当であって欲しい」と思います。この人はこれ以外の不思議な話もしてくれましたが、どれも「本当かはわからないけどウソではない話」でした。

全く別にもう一人、こちらも高校の時の知り合いでおもしろい話をする人がいました。不思議体験ではなくて、日常の中のおもしろい出来事をたくさん話してくれましたが、今になってよくよく考えると、この人の話は全部ウソだったのではないかと思います。

夢か夢でないか本当かウソかよくわかりませんが、どちらもきけて良かった話です。
本当かはわからないけどウソではない話_b0221185_636889.jpg

# by mag-akino | 2011-08-26 06:45

壁一面のでかい顔

出口の脇にある壁にでかい顔(「大きい」というより「でかい」)がくっついていて、その顔が話しかけてくるので幼稚園から帰れない、という夢を子供の頃に何度もみました。

ちょうど鎌倉の大仏の頭部から「顔」の部分をスパッと切ってはりつけたような感じです(顔も大仏っぽかった)。その顔に脅されるわけではなく、通り抜けようとすると、ひょうきんな感じで話しかけてきたり、ちょっと嫌味な質問をしたりするのでどうしても帰れないのです。監禁されるというよりも、やさしく抱きしめられてズルズル引き留められるような拘束のされかたで、目が覚めるとドッと疲れていました。

最近またこの夢をみたようです。(実はっきり覚えていないのですが、その割にイメージが具体的なので、たぶん。)今度は出口の脇の壁ではなくて、ニューヨークの自宅の窓から見える隣りの建物の壁にくっついていました。

10月には個展のために少し帰国する予定ですが、正直なところ不安です。偶然この時期に日本にいなかったために、日本にいる人よりも覚悟しきれない部分があり、日々きこえてくるニュースにどんどん怖くなります。とは言っても、帰らなくてはならないし、帰りたいとも思うし、一生帰らないわけにはいかないし、でもやっぱり帰りたくないような…という心境です。

どうやら私の場合、「帰りたい」「帰れない」「帰らなくてはならない」「帰りたくない」というようなことをグルグル考えていると、でかい顔が壁にくっつくようです。
壁一面のでかい顔_b0221185_152753.jpg

# by mag-akino | 2011-08-12 01:06


アーティスト近藤聡乃ニューヨーク滞在制作記


by mag-akino

近藤聡乃 / KONDOH Akino

2012年5月までの文章が本になりました。

不思議というには地味な話』(ナナロク社)

57編、すべてに描き下ろし挿画つき。26ぺージの描き下ろし漫画「もともこもみもふたも」も収録。



2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、2002年アニメーション「電車かもしれない」で知久寿焼(音楽グループ、元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品で NHKデジタルスタジアム、アニメーション部門年間グランプリを獲得。シャープペンを使って繊細なタッチで描くドローイングに加え、最近 では油彩にも着手している。2008年、2冊目のマンガ単行本「いつものはなし」(青林 工藝舎)を出版。

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