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祖母の曾祖母

私は父方、母方とも曾祖母に会ったことがない。会ったことがないので実のところ親しみがわかないのだが、その曾祖母が祖母の母親だと思うとなんだか恐ろしい。

私は、母親はもちろん、二人の祖母との思い出も多いので、この三人に対して特別な親しみを感じている。そして、二人の祖母に確認したことはないが、きっと祖母達も私と同じように「祖母との思い出」を持っていると思われる。「私の祖母の祖母だから」と無理に自分を納得させて、ギリギリ親しみを湧かせられるのは祖母の祖母までだ。つまり四代前が私の親近感の限界である。

会ったことのない二人の祖母の母、さらにその母のことを考えると不安な気持ちになる。理屈でしか親近感をもてない相手が、祖母にとっては大切な人だと思うとなんだか恐ろしい。屁理屈でも親近感を持てない祖母の曾祖母となると、もう私にとっては「ただの女性」なので、「いてもいなくても差し障りないな」と思うのだが、実際のところ彼女がいなかったら私もいないのだから、その、祖母の曾祖母はじめ、それ以前の無数の「ただの女性たち」は、漠然とした脅威である。「一人くらいいなくてもいいじゃないか」と頭をよぎった瞬間に「いなかったらお前は」と何千という「ただの女性たち」に詰め寄られそうな圧迫感がある。

そんな訳で、全員存在していたことは渋々認めているのではあるが、その順番を崩すくらいならいいのではないかと最近思っている。遥か昔から細々と続いている糸を切ってはいけない気がするが、どこかに結び目を作って時間の前後を狂わせるくらいならギリギリセーフではないかと思うのだ。つまり、「祖母の曾祖母」と「祖母の曾祖母の母」を逆にするくらいいいのではないか、ということだ。私が頭の中で逆にしたところで誰も気づかないし、何も変わらないのである。

そして、どんどん時間がたって、私の五代後の「ただの女性」が、同じように私と私の母を入れ替えても良いように思う。そう考えると、五代も待たずに今から私の母と祖母を「私の娘だ」「私の孫だ」と思ってもまあいいんじゃないか、と、ここところ、私よりも体の小さくなった祖母や母をみると思うのである。

そもそも頭の中の糸の話であるし、私が子供を産まなかったらここでおしまいの話である。また、「ただの女性」の夫として存在したはずの「ただの男性」に関しては、糸の一部であるとなはなぜか全く思えないのも勝手な話である。

男性アーティストが「死ぬ前に自分の美術館を作りたい」と言ったのをきいた時、私は一度もそう思ったことがなかったので驚いてしまって、忘れられない。きっとそれは彼にとっての「無数のただの男性からの脅威」と関係しているのだと思う。


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# by mag-akino | 2013-04-07 04:06

浸透圧と普遍性

アートフェアで作品を展示販売するためにマイアミに行った時である。ちょうどその頃、私はいろいろとうまくいっておらず、どんよりとした気分で出かけたせいか、あっという間にマイアミが嫌になってしまった。そもそも元気な状態で行ったとしても、全く私好みの街ではないのだが(「マイアミに行く」と言ったら100%の知人に「似合わない」と言われた。)、英語が飛び交う何だかよくわからない状況で自分の作品が売り買いされている、という不安な感じに負けてしまったのである。

嫌になった私は、三日目くらいでフェアに行くのも他のアート鑑賞をするのも観光するのも億劫になり、ホテルのベッドに座っていたのだが、そのまま後ろに倒れてぼんやりと悩んでいたら、いつの間にかアイヴォリイ・ホワイトの塊と遭遇していた。そして、そのまま勝手に「普遍性の謎」の説明がはじまったのであった。

このアイヴォリイ・ホワイトの塊というのは巨大な貝の外套膜のようなしっとりした半透明のもので、そのユルユルがどこか広大な空中にぽかりと浮かんでいるのを、私は眺めていた。(私もその周りでユルユルと半分蕩けていたので、これは夢である。)さらに、この巨大な外套膜は「普遍性の塊である」ということだった。

「普遍性の塊である」と唐突に言われても訳がわからないと思うが、私にも今となっては全く意味がわからない。ただその時、説明するまでもなくそれは「普遍性の塊」であり、マイアミでの数日間、私はそれが「普遍性の塊」であることがキチンと説明できた記憶もある。(悩んでいて心が狭くなっていたので誰にもしなかったけど。)キーワードは「浸透圧」であった。しかし、あれから六年ほどたった今では、細かい内容は全て忘れ去り、アイヴォリイ・ホワイトの塊が普遍性の塊で、浸透圧を引き合いにだすと「普遍性の謎」が説明できたことしか覚えていない。

とにかく、その「普遍性」とは視覚的には貝の外套膜のようなものだった。浸透圧で説明できなくなった今では結論でしか言えないがマイアミの確信に依ると確かにそうなのだ。その貝の外套膜を「アイヴォリイ・ホワイト」の塊と素敵に表現するようになったのはつい先日、大江健三郎の『空の怪物アグイー』を読んでからである。物語の中で音楽家のDは『空を、地上から、ほぼ百米のあたりをアイヴォリイ・ホワイトの輝きを持った半透明の横ざまの存在が、浮游している』と言う。彼にとってそれは『この地上の生活で喪ったもの』であり「普遍性の塊」ではないが、その説明はマイアミの貝にそっくりであり、そして「そういえばあの貝の外套膜もアイヴォリイ・ホワイトだったな」と思い出したという訳である。

思いついて、「浸透圧」と「普遍性」でgoogle検索もしてみたが、それらしいものはヒットしなかった。(一応「osmotic pressure」と「universality」も試してみたがダメだった。)しかし、少なくとも二人、空に浮かぶものを「黄味がかった白である」と表現したのだから、やはり空にはアイヴォリイ・ホワイトの何かが浮かんでいるのかもしれない。


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# by mag-akino | 2013-03-19 11:34

普通でないことへの憧れ

普通の人のほとんどが持っている気持ちに、「普通でないことへの憧れ」というのがあると思う。そして、ほとんどの人は普通だと思うので、この気持ちはほとんどの人が持っているごく普通の気持ちだと思う。

私に、この気持ちを強く意識させるのが、今年も先日開催されたアウトサイダーアートフェアである。アウトサイダーアート(Outsider Art)というのは、フランス語の「Art Brut(生の芸術)」の訳語として作られた言葉で、解釈の幅が広い。美術教育を受けていない独学の作家、知的障害の作家、精神障害の作家、精神病の作家の作品全てを含むのだから、解釈の幅が広い、というより広すぎる曖昧な言葉である。「美術教育を受けている作家」が今のアーティストのほとんど(普通)であるので、それをインサイドとして、それ以外全てという意味だろう。たぶん、言葉として未完成で、そのうち使われなくなる言葉だと思う。

言葉の良し悪しはさておき、アウトサイダーアートフェアというのは、その広範囲の作家の作品を展示販売するイベントのことで、ニューヨークでは毎年二月に開催されている。私はこのフェアが楽しみで、住み始めてから毎年通っている。私にはどうやっても作ることができない作品が、ゴチャゴチャした会場の中でポツリポツリと光っていておもしろいのだ。

私は美術大学を卒業しているので(そこで何かを学んだかと言うと疑わしいが)、独学というのは無理があるし、知的障害、精神障害もないので、「普通」のアーティストである。今後私がアウトサイダーアーティストという範疇に入るには、精神病を煩うしかない。実際に晩年に精神病を煩った作家にアウトサイダーアート界のスターもいるので、「普通でないことへの憧れ」がフェアに行くと再燃してしまう。そして、つい「精神病を煩ったら天才になれるかもしれない」という気持ちが湧いてしまう。

ただ毎年フェアを観ているとわかるのが、アウトサイダーアーティストでも「天才」は稀であるということである。毎年どこかしらのギャラリーから出品されるヘンリー・ダーガー、モートン・バートレット、アロイーズ・コルバスなどの作品は何度観ても新鮮に輝いているが、彼らに続く作家はなかなか現れない。このフェアで一番多くみかけるのが、細かい手作業の膨大な反復によってできた作品である。私も細かい手作業を繰り返すのが好きなので、それを繰り返して内に没入していく快感はよく知っている。だが、いくら没入して内に籠った気迫があっても、あの会場ではそれが「普通」なので埋もれてしまう。その中で上記の作家が圧倒的なのは、内に籠りつつも、どこか外側に抜けていく「風通しの良さ」を感じるからだと思う。

2007年に原美術館で開催された「ヘンリー ダーガー 少女たちの戦いの物語—夢の楽園」も観に行った。作品が好みなのは、画集などで観てわかっていたのだが、実際に観て驚いたのは作品に清潔感があったことである。「ペニスのついた少女」とか、「殺される少女」などの予備知識のせいもあり、きっと作者の欲望が前面に出た手垢まみれの穢い感じの作品なのだろうと思っていたので、意外だった。明るい館内で、ガラスに挟まれて紙の裏と表の両面がみえるように展示された作品はとても清らかだった。

この清潔感だが、私は、作者がほとんどの少女を手で描かずに広告や写真からトレースしたためだと思う。他所からのイメージをトレースすることで、作者の頭の中の少女達は一瞬作者の手を離れ、そこに風の通り道ができ、清々しい印象をもたらしているのだ。さらに、人物だけではなく背景が入念に描かれているのも、作品が外に向かって開かれているように感じる理由の一つだと思う。(後で知ったのだが、ヘンリー・ダーガーは気象や空にも興味があったそうだ。)その他にも、水彩絵の具で塗られた色や、文字と絵の配置 が美しく、ずっと眺めていたい素晴らしい作品であった。

この展示やフェアでヘンリー・ダーガーの作品を観て思うのは、彼にはそもそも才能があったということである。独学で、特殊な環境で生活し、知的障害もあったようだが、観察力や色感、レイアウトのセンスも生まれつきのものである。「アウトサイダー」であることで、作品の出来に伸びがあったとは思うが、0が100になったのではないだろう。もし彼が「インサイド」にいたのなら、今ほどではないにしても、それなりに良い作品を作るアーティストだったのではないだろうか。

すっかり長くなってしまったが、何が言いたいかと言うと、「今後私が精神病を煩っても天才にはならないだろう」ということである。安易な気持ちは持たずに、「普通」でないことに普通に憧れつつ、真面目にがんばろうと思います…


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# by mag-akino | 2013-02-07 12:58

ハエの思い出

①祖父とハエ
たしか小学校の低学年の頃である。私は居間の机で折り鶴を折っており、祖父がそれをジッとみていた。折り終わり、翼を左右に広げて胴体をふくらませ、「ハイ」と祖父に渡した。祖父は神妙に鶴をひっくり返し、おへその部分にある穴を指差し、「ここからハエを入れるんだ」と言った。折り鶴の胴体の部分にハエを入れると、鶴がゴソゴソ動いて楽しいそうである。


②教授とハエ
多摩美術大学二年生の時である。その日は二クラス合同の講評会であった。生徒は作品を教室の前に並べて好きな場所に座り、二人の教授がそれぞれ目に留った作品から講評していった。私は左端近くの最前列の椅子に座ってぼんやり聴きつつ、目の前を飛んでいるハエをなんとなく目で追っていた。ハエはしばらく作品と生徒の間をブンブン飛び回っていたのだが、私の目の前で突然直角に落下し、そのまま死んでしまった。「目に見えない毒空気の塊に突入して即死」といった感じだった。ハッとして顔をあげると、同じくハッとした顔の教授と目があった。




その教授は私のクラスの担任の教授で、私と同じく、もう一人の教授の講評をぼんやり聴きつつ、ハエを目で追っていたと思われる。教授のあの時の顔と、祖父の「ここからハエを入れるんだ」と言って笑った顔が忘れられない。この二件の出来事の後、教授と祖父に対する親しみがより深くなった。

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# by mag-akino | 2013-01-28 15:18

ウソみたいな本当の話 その3 、名前を思い出した話

いつもは一人で描くのだが、マンガのベタ塗りを手伝ってもらっていた時期がある。個展を控えての地獄のようなアニメーション制作の日々が本格的に地獄になった2011年の頭から半年程である。私はニューヨークに来てから三年間、隔週八ページの四コママンガの連載をしており、そのベタ塗りまで手がまわらなくなったのだ。線を仕上げたところでアシスタントさんに来てもらい、ココとココを黒で塗りつぶして、と指定をして、私はその横で動画の色付けなどをしていた。

そうこうしているうちにあっという間に時間がたって、四コママンガは完結し、アニメーションもギリギリに仕上がり、無事個展を迎えた。そして、ニューヨークに戻りホッと一息ついて、改めてアシスタントさんにお礼のメールを送ろうとしたら、彼女の名前がどうしても思い出せなくなっていた。顔ははっきり覚えているのだが、いくら考えてもどうしても名前が思い出せない。もう既に何回か感謝の気持ちを伝えた後の「改めて」のメールだし、まあ今日でなくてもいいか、と思っているうちにまたあっという間に三ヶ月程たってしまった。

三ヶ月の間、何回も「彼女何て名前だっけ?」と考えて、全然思い出せなかったのは事実なのだが、実のところ私は、キッチンの脇の引き出しをあければ彼女の名前がわかることもわかっていた。アシスタント代を払った際の領収書がそこに入っていたのである。つまり「引き出しを開けて領収書を探す」という、やろうと思えば一分でできることが、なんだか無性に面倒臭くて三ヶ月も放置してしまったのである。

そんなある日、夢をみた。夢の中で私は、いつものように絵を描きながら「彼女何て名前だっけ?」と考えていた。そして、椅子から立ち上がり、キッチンの脇の引き出しをあけ、領収書を出したのである。そこには忘れていた彼女の名前が書かれていた。翌朝起きてすぐ、彼女に感謝のメールを送り、それ以来彼女の名前は忘れていない。

忘れていることも本当は頭のどこかに残っている、と実感した出来事である。

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# by mag-akino | 2013-01-19 15:06


アーティスト近藤聡乃ニューヨーク滞在制作記


by mag-akino

近藤聡乃 / KONDOH Akino

2012年5月までの文章が本になりました。

不思議というには地味な話』(ナナロク社)

57編、すべてに描き下ろし挿画つき。26ぺージの描き下ろし漫画「もともこもみもふたも」も収録。



2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、2002年アニメーション「電車かもしれない」で知久寿焼(音楽グループ、元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品で NHKデジタルスタジアム、アニメーション部門年間グランプリを獲得。シャープペンを使って繊細なタッチで描くドローイングに加え、最近 では油彩にも着手している。2008年、2冊目のマンガ単行本「いつものはなし」(青林 工藝舎)を出版。

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