ウソみたいな本当の話 その1、ストーカー

私が中学生の時、3つ歳上の兄がストーカー被害にあった。兄は隣り駅で乗り換えをして都内の高校に通学していたのだが、最初に犯人をみたのは隣りの駅だったそうだ。それがいつの間にか、最寄り駅でみかけるようになり、「おや?」と思っているうちに、ちょっとずつ家に近づいてきたという。毎朝、曲がり角に立ち、どちらから兄が来るのか見張っていたのである。

兄が両親に打ち明けたのは犯人がだいぶ家に接近してからのことだった。両親は警察に電話をかけて相談してみたが、思ったとおり「はっきりした被害がないと警察は動けない」というようなことを言われて困ってしまった。私が「兄、ストーカー事件」を知ったのは、この電話のちょっと前である。ある朝、母が「ばれないように」と言うので、そっとカーテンの隙間から覗いたら、マンションの下にストーカーが立っていた。「激怒」風の険しい顔つきをした白人男性であった。私も何日か前に駅に向かう途中ですれ違っており、外国人だったせいもあり、見覚えがあった。

警察は頼りにならないので、家を出る時間をずらしたり、父が駅まで送ったり、そうこうしているうちに、急に彼は姿をみせなくなった。一体何が目的だったのか、何人なのか、当時の私には「かなりおっさん」にみえたが、本当は何歳だったのか、何もかもわからないままにうやむやに事件は解決した。

私が彼と再会したのは、それから3年後である。大学受験用の証明写真を撮影するために、最寄り駅近くの写真館に行った時のこと。撮影をすませ、待ち時間に店内を何気なく見回していて、ハッとした。証明写真のサイズ見本のモデルとして、彼がうつっていたのである。

前回は「本当のようなウソの話」を書いたが、今回は「ウソのような本当の話」である。意表をつかれる形でのストーカーとの再会は、恐怖でおののく、というより、腹の底から笑いがこみあげてきたので、走って家に帰り、母に報告して二人で爆笑した。さらにウソのようで本当なのが、それから14年ほどたった現在も、彼はまだ実家の近所に住んでいて、たまにみかける、ということである。見た目は当時と全く変わらない。今だったら「一体何歳なのか」くらいはきける気がする。
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今年もよろしくお願い致します。 近藤聡乃
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# by mag-akino | 2013-01-03 13:08

紙芝居の時差とウソ

紙芝居のそれぞれのページの表裏に時差があると気づいたのは5歳の頃だ。通っていた幼稚園には、先生が子供達に読み聞かせるための大きい紙芝居があった。ある日、自由時間に一人でそれをいじっていた時のことである。

紙芝居のページを引き抜いて後ろに差し入れる、という動作には日頃から憧れがあり、私は引き抜いて差し入れる動作を黙々と繰り返していた。そして、最後の「めでたしめでたし」の絵のページを引き抜いた時に、その裏に物語のタイトルが書いてあることに「あれ?」と思ったのである。文章で書くとややこしくなるのだが、「観客が観ている絵」に対する「お話」は、その前のページの裏側に書かれている。つまり裏側には絵より1ページ先の文章が書かれているのである。大人になってからはこれを「紙芝居の時差」と呼んでいるのだが、当時は「ずれている」と感じて、とても不思議な気持ちになった。

私は、何度も表と裏をペラペラと見返して、「ずれている」ことを確認した。確認したところで何か「納得がいかない」という気がした私は、ほぼ無意識に、厚手の紙でできたページの角のところを爪で二枚に分けて、そのままペリペリと表と裏を裂いてみた。表裏を「過去」と「未来」とするならば、その紙の隙間に「現在」があるような気がしたのかもしれないが、右手に絵の側、左手に文字の側をそれぞれ持ってみても、相変わらず「納得がいかない」ままであり、そしてようやく、紙芝居を裂いてしまったことに気がついた。

さて、話はここからである。
A: ハッとした私は、慌てて2枚を他のページに挟んで逃げた。この裂けたページがその後、誰かに発見されたのか、されなかったのは知らない。
B: 両手に裂いたページを持って呆然としているところを、あっという間に他の園児にみつかって、先生に叱られて泣いた。

このどちらであったのかが私にはわからないのである。わからない、というより実際にはどちらも「実際に起こったこと」としてかなり具体的に覚えている。つまり、どちらも本当の経験として体感的に記憶しているのだが、実際にはそんなはずはないので、たぶんどちらかが思い違いではあると思うのだが、やっぱりどちらも身に覚えがあるので不思議である。右手と左手で「未来」と「過去」を引き裂いた拍子に、自分も二つに裂けて、それぞれのタイムラインを生きているのではないか、と想像してみたりもする。

さて。
ここに載せている文章はいつも、子供の頃の思い出や、その時々のことなどを書いているので、今回もいつものように書いてみたが、実は今回の文章は創作であって実話ではない。ウソであることをあまり気にしないようにして書いてみたのだが、書いてみるとそんなこともあったような気がしてきて不思議である、
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# by mag-akino | 2012-12-18 11:59

今日はなんだか変だ

出張中の友人に、郵便受けの管理と植物のお世話を頼まれた。友人のアパートのある建物は、多くの家族が住む大きな建物で、入り口に鍵つきのドア、入ったところに郵便受け、階段をあがると友人の部屋のドア、という造りになっていた。「入り口のドアはいつも鍵が開いている」とのことで、預かったのは郵便受けの小さな鍵と、部屋のドアの二つだった。

たしか二回目の水やりに行った時のことである。いつもは開いているはずの入り口のドアが閉まっていた。もう外が暗い時刻だったので「夜は鍵を閉めることもあるのかもしれない」と思ったが、「せっかく来たのだから水をやって帰りたい」とも思った。そこで適当な部屋のブザーを鳴らして、「友人の家に来たのだがドアが開かない」と言ってみたところ、ドアの鍵を開けてもらえた。

不用心、と思いつつ建物の中に入り、郵便受けを開けようと鍵を差し込んだが、開かなかった。何度もガチャガチャやっていたら、ちょうど帰宅した一階の部屋の住人らしきインド人(と思われる)男性が手伝ってくれた。二人でしばらくガチャガチャやってみたがどうしても開かない。もうあきらめよう、と鍵穴から鍵を引き抜いた男性が、その郵便受けをまじまじとみて、「これは僕の部屋の郵便受けじゃないか」と言ってニヤリと笑った。

この一言で完全に訳がわからなくなった。前回来た時はたしかにこの右下のポストを開けたのである。ということは前回取り出して友人宅に置いてきた郵便物はこのインド人男性のものだったのだろうか。だったら謝らなくてはならない。それにしてもこの人もこの人でこんなに長い間ガチャガチャやって、自分の郵便受けと気づかなかったのだろうか。怪しい。今日はなんだか変である。混乱しつつ友人の部屋番号のポストに鍵を入れてみたがそちらも開かない。階段を上り、部屋のドアに鍵を入れたらそれも開かない。

ここにきてようやく「建物自体が違うのでは」と気がついた。階段を降り、外に出たところ、お隣りにほとんど同じ構造の建物があり、それが友人の家だった。

帰って来た友人にこのことを話したら「二回目に来る人は大抵間違える」とのことであった。よくある間違いだったようだが、それにしても鍵が三つ開かなかった程度では、根本的な間違いがあることには気づかずに、「今日はなんだか変だ」程度の出来事なのである。この件に関しては、インド人の乱入によって余計に訳がわからなくなり、さらに最後の「ニヤリ」で頭に血が上ったということもあるが、それをふまえてもいい加減である。

「今日は低気圧だから」
「昨日は夜寝るのが遅かったから」
「珍しいものを食べたから」

これらが普段、私が「今日はなんだか変だ」と思った際の、自分への説明である。天気や血圧や食品のせいにしていつも折り合いをつけてきたが、全て根本的な間違いがあったのかもしれない。だいたい、鍵が一つ開かなかった時点では「今日はなんだか変だ」とすら思わなかったのである。今朝は目玉焼きを作ろうとしたら、双子の卵で、朝から有頂天になった。かなり大きな間違いがあっても「今日はなんだか変だ、それは卵が双子だったから」で済ましてしまいそうだ。
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# by mag-akino | 2012-11-26 21:12

チェルシーヨーグルトスカッチと幼虫の腹

子供の頃に、祖母がよく「チェルシー」という飴をくれた。チェルシーは今でも販売されている、黒地に花柄のデザインの薄い紙箱に詰められた、あのチェルシーである。バタースカッチは味が濃くて苦手だったのだが、ヨーグルトスカッチは大好きだったので、緑の柄のパッケージが祖母のハンドバッグから出て来るとうれしかった。私が、「透明感がある緑がかった白」が好きなのは、このチェルシーヨーグルトスカッチに由来していると思う。

実際のチェルシーヨーグルトスカッチは、透明感はあるが緑がかってはいない。しばらく食べていないのではっきり思い出せないが、白い、というほど白くもない飴であった気もする。子供の分類でバタースカッチは茶色、ヨーグルトスカッチは白、ということだったのだと思う。そしてそのまま、パッケージの緑と、透明感のある飴のイメージが重なって、緑がかった白いものをみると、チェルシーヨーグルト味を思い浮かべるようになった。

緑がかった白いもの、といってもう一つ思い出すのが、カブトムシの幼虫の腹である。あれもよくよく考えると緑がかってはいないのだが、なぜか緑色がかった印象を持っている。私の理想の「緑がかった透明感のある白」そのものなのが、「羽化の途中の蝉」であるから、カブトムシの幼虫に対して緑色がかった印象を持っているのは、蝉からの連想かもしれない。ずっと昔、机の下にカブトムシの幼虫がいる絵を描いた時は、迷わず緑がかった白で塗った。

そう言う訳で、カブトムシの幼虫を見ても、羽化途中の蝉を見ても、反射的にチェルシーヨーグルト味を思い浮かべているので、実は「おいしそう」という印象を持っている。実際に口にいれてしまったことはないし、これからも舐めたりはしないが、ずっと「おいしそう」と感じ続けると思う。また、サーモンピンク、という色に対しても「おいしそう」と感じているのだが、こちらは理由がわからない。

絵を描く時もなんとなく「口にいれた時にいい感じかどうか」を基準に描いている気がする。口にいれた時にいい感じ、というのは、瑞々しいとか、少しやわらかいとか、うっすら甘い、という感じなのだが、視覚をどうやってそれらの感覚に置き換えているのかはわからない。これも細かく突き止めていくと、チェルシーヨーグルトスカッチのような子供の頃の色と味(食感)に関する記憶が何かあるのだと思う。




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# by mag-akino | 2012-11-03 09:42

何を考えているのかわからないTさん

ずいぶん以前の知り合いにTさんという人がいた。あまり親しくなかったのだが、私はこの人がなんだか気になっていた。気になっていたのは、「こわい」と思っていたからである。Tさんが何を考えているのかサッパリわからなかったからだ。

人と会話をすると、その人が発言していることとは別に、その人の本心というのが表情や言葉遣いからなんとなく透けてみえるものである。それで、本当はそう思っているのに、そう言わないなんていい人だなとか悪い人だなとか感じつつ、相手を知っていくのが通常だと思う。しかし、Tさんの場合、表情からは何を考えているのかが全く伺えなかった。それでも、なんとなくこうかな、と会話を続けると、全然違う反応をしたり、全くその通りのことを言ったりと、その時々なので、いつまでたってもTさんの人柄がつかめなかった。それで「この人こわい」と思うようになったのである。

そんなTさんが、突然こわくなくなった。ある日、いつものようにTさんがサッパリわからなかったので、仲の良かったMさんに「Tさんが何を考えているのかサッパリわからない」ともらした時のこと、Mさんは間髪を入れず「Tさんは何にも考えてないよ」と答えたのである。

そう言われてみると、何を考えているのかわからない無表情はただぼんやりしているだけにもみえるし、予測不可能な言動の数々もその場その場で適当に対処しているのだとすると納得がいく。私自身、「何を考えているかわからない」と言われる時は大抵何も考えていないから、Mさんの意見は当たっている気がした。要するに、私はTさんを畏れていたのだが、MさんはTさんをアホだと思っていた、ということである。それ以来、Tさんがこわくなくなった。

一応、「何も考えていない」ということで腑に落ちたのだが、Tさんとはそれ以降も仲良くはならなかった。今考えてみると、私は特に理由もなく言葉にするほどでもなくTさんが嫌いだったのだと思う。そして、たぶんTさんも同じように私が嫌いで、お互いにいい加減に会話していただけではないか。気が合わないもの同士、「この人何考えているかわからなくて不愉快」と感じ、「この人アホかも」で片付けていたのである。

Tさんが本当に何も考えていなかったのか、私のことを嫌いだったのか、私はアホなのかそうでないのかはわからないが、わからない、という状態はこわいことである、という話である。
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# by mag-akino | 2012-10-26 08:42


アーティスト近藤聡乃ニューヨーク滞在制作記


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近藤聡乃 / KONDOH Akino

2012年5月までの文章が本になりました。

不思議というには地味な話』(ナナロク社)

57編、すべてに描き下ろし挿画つき。26ぺージの描き下ろし漫画「もともこもみもふたも」も収録。



2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、2002年アニメーション「電車かもしれない」で知久寿焼(音楽グループ、元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品で NHKデジタルスタジアム、アニメーション部門年間グランプリを獲得。シャープペンを使って繊細なタッチで描くドローイングに加え、最近 では油彩にも着手している。2008年、2冊目のマンガ単行本「いつものはなし」(青林 工藝舎)を出版。

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